「清滝駅」はこの項目へ転送されています。かつて京都府京都市右京区に存在した愛宕山鉄道の駅については「愛宕山鉄道」を、かつて栃木県日光市に存在した東武鉄道の駅については「東武日光軌道線」をご覧ください。
高尾登山電鉄株式会社
Takaotozan Railway Co.,Ltd
本社がある清滝駅
種類株式会社
本社所在地 日本
〒193-8511
東京都八王子市高尾町2205
設立1921年(大正10年)9月29日
業種陸運業
法人番号8010101002275
高尾登山電鉄株式会社(たかおとざんでんてつ)は、東京都八王子市の高尾山でケーブルカーとリフトを営業している鉄道会社。本社所在地は東京都八王子市高尾町2205番地。京王グループに属する[3]。
長らく武蔵野不動産が筆頭株主であり、京王電鉄も出資するものの京王グループには属さない会社であったが、2017年3月期決算より京王電鉄の非連結子会社(持分法適用会社)となっている[4]。 事業所は以下のとおり[5]。 展望台食堂は季節により営業形態が変わり、「高尾山ビアマウント」開催時期はケーブルカーの延長運転もされる(後述)。 高尾山のケーブルカーは高尾山薬王院の27世貫首・武藤範秀の発案によるものとされている。当時、高尾山薬王院の信徒は30万人といわれており、参拝をするために中央本線浅川駅(現在の高尾駅)から高尾山の山麓まで歩き、さらに険しい山道を登るという苦難を強いられていた。 この状況に武藤は高尾山への交通機関の必要性を唱え、元浅川村長・高城正次ら地元有力者とケーブルカーの敷設免許を申請した。その後、武藤は1年間にわたり宗教事情調査のためインドや欧州に行き、その際に見聞したケーブルカーの資料を高城らに送り、ケーブルカー敷設の計画を推進した結果、1921年(大正10年)8月にケーブルカー事業免許が下付されることとなった。同年9月に高尾索道株式会社を資本金30万円で設立し、初代社長には紅林七五郎[9]が就任した。 しかし実際の開業までには時間を要した。高尾山は官有林であり、宮内省帝室林野管理局の管轄にあったため、森林の伐採や用地の借用に煩雑な手続きと手間を必要とした。さらに、当時国内で開業していたケーブルカーは生駒鋼索鉄道のみであり、技術的な問題もあった。その上関東大震災により高尾山駅予定地が崩壊したため、経路の変更などを余儀なくされた。 1925年(大正14年)5月31日、社名を高尾登山鉄道に変更。同年6月30日、苦難の末ようやく工事に着手し、翌1927年(昭和2年)1月21日、清滝駅 - 高尾山駅間のケーブルカーが開業した。
事業所
本社:東京都八王子市高尾町2205番地(ケーブルカー清滝駅)
鋼索鉄道(ケーブルカー):東京都八王子市高尾町2205番地
特殊索道(リフト):東京都八王子市高尾町2181番地
高尾山スミカ(旧 そば処・売店「香住」):東京都八王子市高尾町2182番地(ケーブルカー高尾山駅・リフト山上駅付近)
展望台・展望台食堂:東京都八王子市高尾町2181番地(ケーブルカー高尾山駅・リフト山上駅付近)
高尾山さる園・野草園:東京都八王子市高尾町2179番地(ケーブルカー高尾山駅より徒歩3分)[6]
夏季(6 - 10月):ビアガーデン「高尾山ビアマウント[7]」
春・秋・冬季:レストラン「キッチンむささび[8]」
沿革
計画から開業まで
戦時下での営業休止
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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