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清凉寺
釈迦堂(本堂)
所在地京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
位置北緯35度1分24.57秒 東経135度40分27.44秒 / 北緯35.0234917度 東経135.6742889度 / 35.0234917; 135.6742889
清凉寺(せいりょうじ)は、京都府京都市右京区嵯峨にある浄土宗の寺院。山号を五台山(ごだいさん)と称する。嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)の名で知られる。本尊は釈迦如来、開基は「然、開山はその弟子の盛算(じょうさん)である。
宗派は初め華厳宗として開山し、その後天台、真言、念仏宗を兼ね、室町時代より「融通念仏の道場」として発展した。また、幕末まで愛宕山白雲寺(現愛宕神社)の山下別当寺であった歴史をもつ[1]。目次 この寺の歴史には、阿弥陀三尊を本尊とする棲霞寺(せいかじ)と、釈迦如来を本尊とする清凉寺という2つの寺院が関係している。 この地には、もともと、嵯峨天皇の皇子・左大臣源融(822年 - 895年)の別荘・栖霞観(せいかかん)があった。源融の一周忌に当たる寛平8年(896年)、融が生前に造立発願して果たせなかった阿弥陀三尊像を子息が造り、これを安置した阿弥陀堂を棲霞寺と号した。その後天慶8年(945年)に、重明親王妃が新堂を建て、等身大の釈迦像を安置した。一説では、「釈迦堂」の名の起こりはこの時であるという。 棲霞寺草創から数十年後、当時の中国・宋に渡り、五台山(一名、清凉山)を巡礼した「然(“ちょうねん”938?1016)という東大寺出身の僧がいた。「然は、宋へ渡航中の985年、台州の開元寺で現地の仏師に命じて1体の釈迦如来像を謹刻させた。その釈迦像は、古代インドの優填王(うでんおう)が釈迦の在世中に栴檀の木で造らせたという由緒を持つ霊像を模刻したもので、「インド - 中国 - 日本」と伝来したことから「三国伝来の釈迦像」、釈迦に生き写しとされ「生きているお釈迦様」と呼ばれている。「然は、永延元年(987年)日本に帰国後、京都の愛宕山を中国の五台山に見立て、愛宕山麓にこの釈迦如来立像を安置する寺を建立しようとしたが、様々な障害に阻まれ、一旦京都の船岡山にある蓮台寺に釈迦像を運び込むことになる。 「然は、三国伝来の釈迦像をこの嵯峨の地に安置することで、南都系の旧仏教の都における中心地としようとしたものと思われる。すなわち、都の西北方にそびえる愛宕山麓の地に拠点となる清凉寺を建立することで、相対する都の東北方に位置する比叡山延暦寺と対抗しようとした、という意図が込められていたとされる。しかし、延暦寺の反対にあい、その願いを達しないまま長和5年(1016年)、「然は没した。かれの遺志を継いだ弟子の盛算(じょうさん)が棲霞寺の釈迦堂に「栴檀の瑞像」(前述の三国伝来の釈迦像)を安置し、華厳宗の寺として開山したのが、五台山清凉寺である[1]。
1 歴史
1.1 棲霞寺
1.2 清凉寺
1.3 大念仏(融通念仏)
1.4 中世以降
2 境内
2.1 伽藍
2.2 墓碑・石塔など
3 文化財
3.1 国宝
3.2 国宝指定名称の細目
3.3 重要文化財
3.4 重要無形民俗文化財
3.5 市指定文化財(美術工芸品)
3.6 市指定無形民俗文化財
4 行事
5 歴代住職(近年のみ)
6 ギャラリー
7 所在地・アクセス
8 脚注
9 参考文献
10 関連項目
11 外部リンク
歴史
棲霞寺
清凉寺
大念仏(融通念仏)が、当寺で融通念仏を勤修している。その後、当寺で大念仏が盛んになり、融通念仏の道場となった。
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