清水門
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清水門
旧江戸城 清水門
(2010年4月5日撮影)
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情報
管理運営日本国(文部科学省)
構造形式木造
竣工江戸前期
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分33.91秒 東経139度45分9.92秒 / 北緯35.6927528度 東経139.7527556度 / 35.6927528; 139.7527556座標: 北緯35度41分33.91秒 東経139度45分9.92秒 / 北緯35.6927528度 東経139.7527556度 / 35.6927528; 139.7527556
文化財重要文化財(建造物)
指定・登録等日1961年(昭和36年)6月7日
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清水門(しみずもん)は、東京都千代田区北の丸公園内にある、旧江戸城の門[1]。東面する高麗門と南側に矩折りに建つ櫓門からなる桝形門である。1961年(昭和36年)に「旧江戸城清水門」として国の重要文化財(建造物)に指定されている。
概要

清水門は、創建年代は明らかではないが、1607年(慶長12年)に、北の丸普請が行われていたことから、この時期に建てられたものと考えられている。現在の清水門が建っている辺りは、中世には清水寺があったといわれ、江戸時代には江戸城の一画に取り込まれ、北の丸への出入口として利用された。北の丸は、武家地として利用され、江戸時代中期以降は、御三卿のうち田安家(田安徳川家)・清水家(清水徳川家)の屋敷と蔵地に利用された。門を潜り進むと北の丸公園がある。往時、北の丸公園の東側は一帯は清水家が、西側一帯は田安家が、それぞれ所有していた。1624年(寛永元年)に、安芸広島藩浅野長晟によって改築され、1657年(明暦3年)の大火で焼失したため、翌、1658年(万治元年)に再修築された。明治時代から戦前までは、近衛歩兵連隊駐屯地となった。「江戸城跡」は国の特別史跡に指定されている。また、江戸城の門のうち清水門のほか、外桜田門田安門重要文化財(建造物)に指定されている[2]
門名の由来

中世の頃に、現在の清水門の建っている辺りに、清水寺があったことから名付けられた。
沿革

1457年(
長禄元年) - 太田道灌によって江戸城が創られた

1590年(天正18年) - 徳川家康の居城となる

1592年(文禄元年) - 江戸城の大規模な改修が行われた

1607年(慶長12年) - 天守閣が建てられる、清水門が建てられたと考えられている

1624年(寛永元年) - 安芸広島藩主・浅野長晟によって改築された

1657年(明暦3年) - 江戸城が大火に見舞われた

1658年(万治元年) - 清水門が再修築された。総構が完成し、大城郭としての形がととのえられた

1730年(享保15年) - 北の丸公園は、当時、田安門から南にわたる東側一帯は清水家が所有し、西側一帯は田安家が所有していた

年代不詳(明治 - 戦前) - 近衛歩兵連隊の駐屯地として使用された[2]

年代不詳 近衛歩兵第一連隊がここを通って、常陸丸に乗船し、日露戦争に出征した。しかし、乗船した常陸丸(初代)が玄界灘でロシア軍艦に攻撃されて沈没した。それ以来開かずの門となっていた[3]

重要文化財(建造物)

旧江戸城清水門 2棟 - 指定年月日:1961年(昭和36年)6月7日、時代:江戸前期、種別:城郭、所有者:国(文部科学省)。江戸城遺構のうち、
宮内庁所管外の清水門、田安門、外桜田門が重要文化財に指定されている

清水門
1658年(万治元年)建築高麗門、本瓦葺高麗門と櫓門からなる桝形を形づくっている[4]


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