清水町
町丁
鹿児島市立清水小学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度36分32秒 東経130度33分57秒 / 北緯31.608833度 東経130.565833度 / 31.608833; 130.565833座標: 北緯31度36分32秒 東経130度33分57秒 / 北緯31.608833度 東経130.565833度 / 31.608833; 130.565833
国 日本
都道府県 鹿児島県
市町村 鹿児島市
地域中央地域
地区上町地区
人口情報(2020年(令和2年)10月1日現在)
人口2,115 人
世帯数956 世帯
郵便番号892-0802
市外局番099
ナンバープレート鹿児島
町字ID[1]0073000
運輸局住所コード[2]46500-0077
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清水町(しみずちょう[3])は、鹿児島県鹿児島市の町[4]。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島城下清水馬場町、鹿児島市清水馬場町。郵便番号は892-0802[5]。人口は2,115人、世帯数は956世帯(2020年10月1日現在)[6]。清水町の全域で住居表示を実施している[7]。
清水町にある東福寺城跡は、平安時代の天喜年間に長谷場氏によって築城され[8][9]、戦国時代には麓の稲荷川河口に港が築かれた[10]。興国4年(1343年)頃には島津貞久が東福寺城を攻め落とし、貞久の四男である島津氏久が居城とした[9][11]。 鹿児島市の中部、稲荷川下流域に位置している。町域の北方には稲荷町、南方には春日町、浜町、東方には吉野町、祇園之洲町、西方には池之上町がそれぞれ接している。 町域の西部には鹿児島市立清水小学校があり、東部の多賀山公園には多賀神社や南北朝時代の島津氏の居城である東福寺城跡、東郷平八郎の銅像及び墓がある[12]。町域の中央部を国道10号が南北に通っており、かつては国道10号上を鹿児島市電上町線が通っており、終点の清水町電停が所在していた[12]。古くは村内を吉田往還(現在の国道10号の一部)が通っていた。 現在の鹿児島市立清水小学校の場所に大乗院の正門である仁王堂があり、仁王堂の近くに湧き出ている綺麗な清水があった。その清水から仁王堂の通りを清水馬場と呼んだことに由来する[13][14]。 現在の清水町の多賀山公園内にかつて存在していた東福寺城は平安時代の天喜年間に長谷場氏の居城として築城されたとされており[8][9]、戦国時代には東福寺城の麓にある稲荷川の河口に港が築かれた[10]。興国4年(1343年)頃には島津貞久が東福寺城を攻め落とし、貞久の四男である島津氏久が東福寺城に居城を移した[9][11]。東福寺城は山城として構築されており、この頃には城の附近には町と言えるものは存在していなかったという[11]。この頃から稲荷川の河口に築港された港が発展し、これが鹿児島港の興りとされている[15][16]。 また、島津氏が東福寺城を居城とした時期と同じ頃に諏方神社(現在の南方神社)が現在の清水町の区域に遷座したとされる[17]。
地理
河川
稲荷川
町名の由来
歴史三国名勝図会に挿絵として掲載されている祇園神社(現在の八坂神社)三国名勝図会に挿絵として掲載されている諏方神社(現在の南方神社)
東福寺城の築城と市街地の形成
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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