清水 将海福岡ソフトバンクホークス 二軍バッテリーコーチ #83
中日ドラゴンズ時代
基本情報
国籍 日本
出身地群馬県高崎市
生年月日 (1975-01-09) 1975年1月9日(49歳)
身長
体重181 cm
81 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション捕手
プロ入り1996年 ドラフト1位(逆指名)
初出場1997年4月5日
最終出場2011年8月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
東京農業大学第二高等学校
青山学院大学
千葉ロッテマリーンズ (1997 - 2004)
中日ドラゴンズ (2005 - 2010)
福岡ソフトバンクホークス (2010 - 2011)
コーチ歴
福岡ソフトバンクホークス (2012 -2017)
千葉ロッテマリーンズ (2018 - 2022)
福岡ソフトバンクホークス (2023 - )
この表についてこの表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。
清水 将海(しみず まさうみ、1975年1月9日 - )は、群馬県高崎市出身[1]の元プロ野球選手(捕手、右投右打)、コーチ。 小学生の時に正観寺町子供会のソフトボールを始め、小学5年から2年連続で投手として関東大会に出場[1]。中学から野球部に所属した[1]。 東農大二高2年から捕手となり、3年時、第64回選抜高等学校野球大会に出場したが、初戦で佐賀商の前に敗退した[1]。 大学は東都大学リーグに所属する青山学院大学に進学 [1]。1部リーグ通算77試合に出場、269打数65安打、5本塁打、30打点。ベストナイン受賞2回。 1996年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから1位指名を受けて入団[1]。当時の背番号は8(当初、大学時代と同じ背番号22となる予定であったが、定詰雅彦の阪神タイガースへの移籍で空き番となった8へ変更された)。なお、この時点では8番は一時的に「ミスター・ロッテ」(過去の山内和弘や有藤通世、後年の今江敏晃、中村奨吾)としての球団の象徴的な扱いとなっていなかった[2]。 1997年は前年の正捕手田村藤夫と二番手捕手の定詰雅彦が相次いで移籍したため、キャンプ・オープン戦と率先的に起用され開幕戦では新人ながら小宮山悟とバッテリーを組み完封勝利を挙げ、打ってはプロ初ホームランを放つなど、最高のデビューを飾る。しかし、翌日からは安打が出ず、打率も0割台となったところで、吉鶴憲治と併用されるようになった。 2001年には、吉鶴・橋本将・椎木匠らとの争いに勝利し、正捕手に定着した。 2002年の日米野球に小林雅英と共に出場、3打数3安打と活躍した。シーズンオフには、背番号を27に変更した[2]。一般的には捕手の番号といわれる背番号27 [注 1]は、ロッテ球団にとっては[注 2]事実上投手の番号であったため[注 3]、清水が野手で背番号27を着けた初の選手でだった。2022年までは清水が唯一の例であったが[注 4]、2023年から同じ捕手の田村龍弘が27を着用することになった(22から変更)。 2002年は、清水より打撃が良い里崎智也の台頭でレギュラーを奪われる。シーズンオフにはボビー・バレンタインが9年ぶりに監督就任。彼の構想は右打ちの里崎と、里崎同様に打撃の良い左打ちの橋本を相手チームの先発投手に合わせて起用するものであり、事実上の「構想外」となった。 2004年オフに、山北茂利との交換トレードで中日ドラゴンズへ移籍。背番号は50。 移籍初年度の2005年はプロ入り初の一軍出場なしに終わった。 翌2006年に背番号を中村武志の着用していた39へ変更。移籍後初の一軍出場を果たし、日本シリーズの出場資格者にも選ばれた。 2007年は開幕一軍入りを果たし、移籍後初スタメンを果たすなど力は戻ってきており、谷繁元信・小田幸平に次ぐ第三の捕手としてではあるものの一軍に留まった。シーズン終盤には一軍登録を抹消されたが、前年同様日本シリーズの出場資格者にも選ばれ、同年のアジアシリーズ 2008年は開幕直前に右手親指を骨折する怪我により出遅れる。その後復帰し、第一捕手の谷繁、第二捕手の小田の相次いだ怪我により出場機会を増やし、足も早いので代走としても起用されたが、8月終盤に登録抹消され前年よりも出場試合数は減少。同年、国内FA権を獲得した。 2009年は春季キャンプ、オープン戦も一軍に帯同するも開幕は二軍スタート。その後、谷繁が故障したため一軍登録されるが、小田や北海道日本ハムファイターズから移籍してきた小山桂司がマスクを被ることが多く、小川将俊に代わるように再び二軍に降格し、結局4月9日の1試合のみの出場に終わった。 2010年6月25日、三瀬幸司との交換トレードで福岡ソフトバンクホークスへ移籍。背番号は4に決定。同年は中日、ソフトバンクで1試合ずつの出場に終わった。 2011年は山崎勝己とFAで埼玉西武ライオンズから移籍してきた細川亨らの存在もあり、わずか3試合の出場に終わった。10月7日に当シーズン限りでの現役引退を発表。 引退後はソフトバンクのコーチに就任。背番号はプロ入り時の背番号「8」と現役引退時の背番号「4」を足した84。2012年からは二軍バッテリーコーチ、2014年からは三軍バッテリーコーチ、2016年からは一軍バッテリーコーチを務め、2017年のパ・リーグ優勝、日本一に貢献[4]。同年限りで退団した。ソフトバンクコーチ時代は甲斐拓也を育てた[5]。
経歴
プロ入り前
ロッテ時代
中日時代
ソフトバンク時代
引退後
Size:53 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef