清水 定吉
個人情報
生誕 (1837-09-12) 1837年9月12日
日本 江戸・浅草清島町(現:東京都台東区東上野6丁目)
死没 (1887-09-07) 1887年9月7日(49歳没)(享年50)
日本
死因絞首刑
殺人
犠牲者数6人
犯行期間1882年?1886年12月3日
国大日本帝国
逮捕日1886年12月3日
司法上処分
刑罰死刑
有罪判決強盗殺人罪・殺人罪
判決死刑
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清水 定吉(しみず さだきち、1837年9月12日(天保8年8月13日) - 1887年(明治20年)9月7日)は、「日本初の拳銃強盗犯」として知られる明治時代の日本の元死刑囚である。また「日本初の劇映画」である『ピストル強盗清水定吉』(1899年)、および『清水定吉』(1930年)として映画化された映画作品のタイトル、および登場人物名である。 1837年9月12日(天保8年8月13日)、江戸・浅草清島町(現在の東京都台東区東上野6丁目)に生まれる[1]。 職業は按摩師であった。当時の「按摩師」のスタイルは清水の犯罪にとって、格好のカモフラージュとなった。東京市本所区相生町(現在の東京都墨田区両国から緑までの地域)に住んでいた[2]。 1882年(明治15年)から、覆面をして拳銃を使用、『警視庁史』によれば東京市(現在の東京都)で80件以上の強盗を行い5人を殺害した[3]。拳銃を使用した強盗事件は日本犯罪史上初めてのことであり、当時の首都は震撼した。 使用した拳銃については『警視庁史』にも記載はないものの、『探偵実話 清水定吉』に掲載されている押収品リスト[4]を信じるならば当時の日本軍の制式拳銃である「二番形拳銃」(スミス&ウェッソンNo.3アメリカンモデル[5])だった。入手ルートについては『警視庁史』では「明治十五年のある日、日本橋浜町で、実弾五十九発とともにピストルを拾い、以来これを利用して、強盗に押し入った」とされている[3]。 当時、警視庁は管下各警察署の警察官を動員して捜査に当たるも犯人逮捕に至らず、世論は警察無能を強く非難した[3]。そんな中、1886年(明治19年)12月3日未明、日本橋区馬喰町(現在の中央区日本橋馬喰町)の商家に押し入った直後、通報を受けて駆けつけた久松警察署小川佗吉郎巡査[6]が清水の発砲で重傷を負いながらも遂に逮捕した。小川巡査はその後、回復し2階級特進で警部補に昇進するが、4か月後に傷が悪化し翌1887年(明治20年)4月26日、24歳で死亡した[6]。また清水の取調べに当たったのは武東晴一という刑事で[7]、数々の凶悪事件や迷宮入り事件を解決し「鬼武東」と呼ばれていた。この武東晴一の曾孫がタレントのモト冬樹で、2014年(平成26年)12月5日に放送されたNHKの『ファミリーヒストリー』でこの事実が明かされた。 清水の裁判は、東京重罪裁判所において行われ、1887年(明治20年)8月11日、死刑の宣告を受けた[3]。同年9月7日、死刑執行[8]。49歳没[1]。 殉職した小川警部補を悼み、当時の浜町川に架かる橋は「小川橋」と名づけられた。その後の都市計画により川は埋められて橋は撤去されたが、1974年(昭和49年)、4月26日の小川警部補の命日に日本橋久松町の久松児童遊園入口に石碑が建てられた[6]。 1899年(明治32年)から駒田好洋の「日本率先活動写真会
人物と事件の概要
映画作品
『ピストル強盗清水定吉』 1899年 監督・撮影駒田好洋・柴田常吉
『清水定吉』 1930年 監督丘虹二
清水定吉の事件は歌舞伎や新派芝居にもなった。1899年(明治32年)には、当時、東京の深川にあった深川座
で探偵実話「清水定吉」が上演された記録が残っている[11]。新派の芝居でも「ピストル強盗清水定吉」を1897年(明治30年)ごろに上演している。里見クが10歳のころ、鎌倉で観たことを回想している[12]。歌舞伎の演目としては1930年(昭和5年)に明治座で上演された木村錦花作「ピストル強盗清水定吉」もある。二代目市川猿之助が清水定吉を演じた[13]。この芝居に探偵役として出演した三代目中村翫右衛門によれば「この時分説教強盗がはやったので、それをあてこんだものだった」[14]という。 大正時代には木村重正
浪曲化
書籍化作品
『探偵実話 清水定吉』、無名氏、金松堂、1893年
『明治・大正犯罪実話集:清水定吉・稲妻お玉』、春江堂編輯部、春江堂、1929年
関連事項
日本映画#サイレント時代
駒田好洋
河合映画製作社 - 大都映画
註^ a b 『探偵実話 清水定吉』(無名氏、金松堂、1893年)p.158にある戸籍写しの記述による。1837年の日本は「寛政暦」を採用しており、現在の「8月13日」とは異なる。没年齢は計算上。
^ 芥川龍之介のエッセイ『本所両国』の記述を参照。「青空文庫」サイト内の「 ⇒芥川龍之介「本所両国」」に原文がある。
^ a b c d 警視庁史編さん委員会 編『警視庁史 明治編』警視庁史編さん委員会、1959年1月、204-207頁。