清水宏保
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清水宏泰」とは別人です。

清水 宏保



基本情報
国籍 日本
誕生日 (1974-02-27) 1974年2月27日(50歳)
出身地北海道帯広市
身長162 cm
体重70 kg

獲得メダル

日本
男子スピードスケート
オリンピック
1998 長野500m
2002 ソルトレイクシティ500m
銅1998 長野1000m
世界距離別選手権
金1996 ハーマル500m
金1998 カルガリー500m
金1999 ヘーレンフェーン500m
金2000 長野500m
金2001 ソルトレイクシティ500m
銀1999 ヘーレンフェーン1000m
銀2003 ベルリン500m
銀2005 インツェル500m
銅1997 ワルシャワ500m
銅1998 カルガリー1000m
世界スプリント選手権
銀1995 ミルウォーキー総合
銀1996 ヘーレンフェーン総合
銀2001 インツェル総合
銅1993 伊香保総合
銅1999 カルガリー総合
銅2000 ソウル総合


清水 宏保(しみず ひろやす、1974年昭和49年〉2月27日 - )は、日本の元スピードスケート選手、医学者スポーツキャスタータレント、実業家。学位博士(医学)弘前大学2023年[1]

北海道帯広市出身。 ⇒株式会社two.seven所属 兼代表取締役。1998年長野オリンピックで金メダル1個、銅メダル1個、2002年ソルトレークシティオリンピックで銀メダルを獲得した。身長は162cm。
経歴
スケート選手として

実家は建設会社。葵幼稚園、帯広市立栄小学校帯広市立帯広第一中学校白樺学園高等学校日本大学文理学部卒業。三協精機NECを経て、現在は株式会社コジマに所属するプロのスケーターである。

1993年2月、イタリア・バゼルガ・ディ・ピネで行われたスピードスケートW杯に18歳で初出場し初優勝という快挙を達成。その直後の世界スプリント=群馬県伊香保では総合3位に入り、小柄な世界トップスケーターとして注目を集める。

1994年リレハンメルオリンピック1998年長野オリンピック2002年ソルトレークシティオリンピック2006年トリノオリンピックと、4度の冬季オリンピックに出場している。長野では500mで日本のスピードスケート選手としては初となる金メダル(冬季オリンピック個人競技では1972年札幌オリンピックの笠谷幸生以来26年ぶり)、1000mでも銅メダルを獲得、ソルトレイクシティの500mでもトップと0.03秒差の銀メダルを獲得した。ワールドカップ(W杯)通算優勝回数は34回である。

金メダルを獲得した長野オリンピック直後の1998年4月、清水は所属していた三協精機を退社し、日本で初めての「プロ」(スピード)スケーターとなることを宣言。その後NECがスポンサーとして名乗り出る。9月に同社と社員契約を結ぶ[2]一方で、複数の企業とスポンサー契約を交わすプロアスリート活動を始めた。

1993年の世界デビュー以降、10年以上にわたって日本スケート界を牽引してきたが、2005年の世界距離別選手権で2位になったのを最後に世界では目立った成績を残せなくなった。男子短距離では、加藤条治及川佑長島圭一郎など「ポスト清水」と言われる世代が実力をつけたこともあり、選手としての去就に関心が集まるようになる。2008年3月限りで契約していたNECを退社、新たにコジマと契約を結んだ[3]

2009年12月に長野市のエムウェーブで開催された2010年バンクーバーオリンピック代表選考会で500m7位、1000m9位に終わって代表を逃し、「去就については改めてコメントしたい」と語った。マスコミでは「現役引退の決意を固めた」と報じられた[4]。2010年2月19日、今シーズン限りでの現役引退が所属するコジマより正式に発表された。3月5日に引退会見を開き、バンクーバーオリンピックの代表選考が終わった際に引退を決意したと述べた。選手生活については「たくさんの人に支えられ、幸せなスケート人生だった」「唯一の心残りは(500mで)33秒台を出せなかったこと」と振り返り、今後については未定としながらも「いろいろ勉強して、メダルを目指す選手にアドバイスする立場になっていければ」と話している[5][6]

2009年12月にモデルの高垣麗子との交際がお互いのブログにより公表され、その後2010年3月31日に婚姻届を出した[7]
引退後

2010年5月、 ⇒株式会社two.seven設立。代表取締役就任。

2011年4月から日本大学大学院グローバル・ビジネス研究科グローバル・マネジメント専攻に入学、2013年3月に修士課程を修了した後も研究生として在学[8]。一方で、テレビ中継解説や『情報満載ライブショー モーニングバード!』(テレビ朝日)のレギュラーゲストコメンテーターとして参加(選挙立候補のため降板)、2011年4月からは『スポーツドミンゴ』(NHK BS1)で初めてスポーツ番組のキャスターを担当した。2013年4月にはフジテレビ系のテレビドラマ『間違われちゃった男』へゲスト出演、初のドラマ出演を果たした[9]

2011年12月19日、高垣との間での離婚成立[10]

2012年に行われた第46回衆議院議員総選挙新党大地公認で北海道1区から出馬するが[11][12]、落選。

2013年7月には札幌市整骨院を開院[13]

2014年11月、株式会社two.sevenを北海道札幌市へ移転[14]し、リハビリ型通所介護施設リボンリハビリセンターを開設。その後、通所介護事業所・訪問看護ステーション・定期巡回随時対応型訪問介護看護事業所・サービス付き高齢者向け住宅・スポーツジム複数店舗を開設。代表取締役として経営している。

2015年4月、弘前大学大学院医学研究科博士課程に入学した[15]

2017年4月、北海道千歳リハビリテーション大学客員教授就任。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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