清水勇人
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この項目では、政治家について説明しています。サッカー審判員については「清水勇人 (サッカー審判員)」をご覧ください。

日本政治家清水 勇人しみず はやと
内閣府より公表された肖像
生年月日 (1962-03-25) 1962年3月25日(62歳)
出生地 日本 埼玉県戸田市
出身校日本大学法学部卒業
前職土屋品子衆議院議員秘書
埼玉県議会議員
所属政党(自由民主党→)
無所属→)
埼玉改援隊→)
無所属
称号法学士
公式サイトさいたま市長 清水はやと
第3代 - 第6代 さいたま市長
当選回数4回
在任期間2009年5月27日 - 現職
埼玉県議会議員
選挙区南第6区(見沼区
当選回数2回
在任期間2003年4月30日 - 2009年3月26日
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清水 勇人(しみず はやと、1962年昭和37年〉3月25日[1] - )は、日本政治家埼玉県さいたま市長(第3代 - 第6代)、元埼玉県議会議員(2期)。
来歴

埼玉県戸田市生まれ。その後大宮市(現・さいたま市西区水判土、中学生からは浦和市(現・さいたま市浦和区常盤・(現・緑区中尾で過ごし、結婚後は再び大宮市(現・さいたま市見沼区堀崎町に居住している。大宮市立植水小学校明治学院中学校・明治学院東村山高等学校卒業。

日本大学法学部政治経済学科在学中、タイ難民キャンプ難民支援のボランティアに従事したのをきっかけに、世界の紛争地域を回る。日大法学部卒業後、松下政経塾に入塾し、1988年(昭和63年)に卒塾(第7期生)。1995年(平成7年)4月、埼玉県議会議員選挙に当時の南第6区(上尾市選挙区)から立候補したが、最下位で落選。その後、土屋品子衆議院議員公設第一秘書を務める。

2003年(平成15年)4月、埼玉県議会議員選挙に自由民主党公認で現在の南第6区(見沼区選挙区)から立候補し、同区でトップ当選を果たした。県議時代は、拉致議連幹事を務める。2007年(平成19年)に再選。
さいたま市長に就任

2009年(平成21年)2月、自民党を離党し、さいたま市長選挙への出馬を表明。翌3月26日、埼玉県議会議員を辞職。5月24日投開票のさいたま市長選挙に、渡辺喜美江田憲司らが結成した国民運動体 日本の夜明け(後のみんなの党)の推薦を受けたほか、独自候補の擁立を断念した民主党の埼玉県連の支持を受け、無所属で出馬。民主党埼玉県連代表の枝野幸男埼玉県第5区選出)が選挙対策本部長に就任し選挙対策を取り仕切った。

現職の相川宗一さいたま市長は、自民党埼玉県連と公明党埼玉県本部の推薦を得て、3選を目指して無所属で出馬。民主党埼玉県連幹事長の武正公一埼玉1区選出)は、これまでの選挙で相川の支援を受けていたため、清水の積極的な支援は行わなかった。同じ県連に所属する国会議員が別々の候補を支援する分裂選挙の様相を呈した。

この他、自民党を離党し、衆議院議員を辞職して2005年(平成17年)の市長選挙に続いて出馬した中森福代、旧大宮市長の新藤享弘の支援を受けた前さいたま市議(現在は埼玉県議)、日本共産党が推薦する元埼玉県議の松下裕、2001年(平成13年)の市長選挙に続いて出馬した土屋義彦埼玉県知事の特別秘書の総勢6人が立候補した[2]

民主党はこのさいたま市長選挙を第45回衆議院議員総選挙の前哨戦に位置づけ、党本部推薦候補並みの支援体制を敷いて清水を支援。小沢一郎民主党代表の辞任を受けて就任した鳩山由紀夫新代表が就任後初の地方遊説を行った他、菅直人前原誠司名古屋市長河村たかしら、民主党幹部らが頻繁に選挙応援に入った。清水は次点の相川を大差で破り、初当選。投票率は42.78%[3]。5月27日、さいたま市長に就任[4]

2010年(平成22年)12月21日地域政党埼玉改援隊」を設立し[5]、代表に就任したが、活動の形骸化が指摘され2012年に解散した。

2013年(平成25年)5月19日投開票のさいたま市長選挙に再選を目指して出馬[6]。前回の市長選では民主党の支援を受けたのに対し、特定政党の支援を受けず、埼玉県議時代の先輩であった自民・公明両党が推薦した前埼玉県議、前さいたま市議で2001年(平成13年)の市長選挙に続いて出馬した吉田一郎、共産党が推薦した旧岩槻市議ら3人の新人候補を破り、再選を果たした。投票率は37.98%で、これはさいたま市長選において2番目に低い投票率であった[7]

2016年には国際芸術祭「さいたまトリエンナーレ」を開催、9月24日から12月11日までの79日間にわたって行われた。30万人を目標としていた来場者数は36万人を数えた[8]。一方、およそ8億円の事業費がかかったことや、トリエンナーレを担当する市職員が時間外労働を強いられたことに、さいたま市議会は反発した[9][10]

2017年(平成29年)のさいたま市長選挙民進党の支援を受けて出馬し[11]、初の女性市長を目指して三度目の立候補をした元衆議院議員の中森福代や、共産党が推薦した地区労組協議会議長の前島英男と選挙戦を戦った[12]。前回に引き続き埼玉高速鉄道線の延伸のほか、大宮駅浦和駅周辺の再開発推進、さいたま市立病院の建て替え、認可保育所の増設によって待機児童の解消を図ることの必要性を訴えた[13]


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