「しみけん (AV男優)」、「清水健」、「清水良太郎」、「清水健太」、あるいは「清水けんじ」とは別人です。
しみず けんたろう
清水 健太郎
本名園田 巌(そのだ いわお)
生年月日 (1952-10-11) 1952年10月11日(71歳)
出生地 日本・福岡県小倉市
身長175cm
血液型B型
職業歌手
俳優
ジャンル映画
オリジナルビデオ
テレビドラマ
活動期間1975年 - 2008年
2013年 -
活動内容1975年:『ぎんざNOW!』
1976年:「失恋レストラン」で歌手デビュー
配偶者アメリカ人モデル
(1985年 - 1991年)
森 香名子
(2002年 - 2004年)
個人事務所の社長
(2014年 - )
事務所オフィスKS
公式サイト ⇒株式会社 オフィスKS
主な作品
オリジナルビデオ
『首領への道』シリーズ
『雀鬼』
『真・雀鬼』シリーズテレビドラマ
『ムー』
『ムー一族』
『Gメン'82』
受賞
第8回日本歌謡大賞放送音楽新人賞
(「失恋レストラン」)
(第19回日本レコード大賞最優秀新人賞
(「帰らない」)
エランドール賞新人賞(1978年)
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清水 健太郎(しみず けんたろう、1952年〈昭和27年〉10月11日 - )は、日本の歌手、俳優。愛称はシミケン。福岡県小倉市(現:北九州市小倉北区)出身。身長175cm。オフィスKS所属。かつては、田辺エージェンシーやニューセンチュリーレコードに所属していた。 福岡教育大学附属小倉小学校、福岡教育大学附属小倉中学校、福岡県立北九州高等学校、足利工業大学工学部建築学科卒業。 大学生時代に北九州市小倉魚町の東映会館前でスカウトされ上京。TBSの若者向け情報番組『ぎんざNOW!』の1コーナー「素人コメディアン道場」に大学の後輩清水アキラが出場してものまねを披露する際にバックでギターを弾いていたのが好評を受ける[注釈 1]。1975年から『ぎんざNOW!』で木曜日のコーナーを担当し、そのアイドル的なルックスで大きな話題となる。 1976年11月21日(日曜日)に「失恋レストラン」(作詞・作曲:つのだ☆ひろ)で歌手デビュー[1]。翌1977年にかけ大ヒットとなる。その後も「帰らない/恋人よ」「遠慮するなよ」「泣き虫」などのヒット曲を飛ばした。1977年12月31日に第19回日本レコード大賞で最優秀新人賞を獲得するなど、同年の新人賞受賞を総ナメにし、さらに『第28回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。同時期にはアイロンパーマをかけた髪を短くカットする清水の独特のヘアスタイルが「健太郎カット」と呼ばれ、男性の間で流行した。 芸名は、自身が昔からの憧れだった清水次郎長と高倉健、菅原文太それぞれから文字をとり、収まりを良くするために「郎」を付けたという説がある[2]。 歌手活動と並行し、ドラマ『太陽にほえろ!』で俳優としてもデビュー。『ムー』『ムー一族』などにも出演した。1977年には寺山修司が手がけた初の商業映画として話題を呼んだ『ボクサー』に東映で主演、東映は引き続き同社の主演スターとしてプッシュしていく意向を示すが、歌を重視する事務所の方針で頓挫した。 1985年、アメリカ人モデルと結婚するが、1991年に離婚[3]。同時期からテレビなどの表舞台から遠ざかり、『雀鬼』の桜井章一役などオリジナルビデオ作品を中心に仕事をするようになる。 1994年(平成6年)には後述の経緯で、覚せい剤所持で3度目の逮捕となり懲役1年6か月の実刑判決を受け服役。出所後はどこからも声がかからず、本人も役者の道に戻れるとは思っていなかったため、飲食店で皿洗いのアルバイトをしていたところ、夜通し働いているのを知った先輩俳優の岡崎二朗が「こんなに頑張っているんだから、何とかしてやりたい」と業界関係者にかけあった結果、芸能界復帰が叶った[3]。 復帰後は主に暴力団の組長役が当たり役となり哀川翔、竹内力と並んで“Vシネマ[注釈 2]の帝王”と呼ばれるまでになった。特に1998年からの『首領への道』シリーズはヒット、ビデオ販売に大きく貢献した[3]。また、4時間超の長編アダルトビデオ『さすらい 愛が泣いている』(脚本・監督・:村西とおる)にも出演した。 2002年には22歳年下の女優・森香名子と再婚、公私ともに順調に見えていたが、2004年4月離婚[3]。直後に後述の経緯で、再び覚せい剤取締法違反で懲役2年4か月の実刑判決を受け再度服役。2006年5月の仮釈放[4]後は身元引受人新日本キックボクシング協会市原ジム(千葉県市原市)会長・小泉猛の元に住み込み、再起に向け体を鍛錬する日々を送る[3]。一方、2007年3月22日に日本テレビ系列の特別番組『あの人は今!?』で約3年ぶりにテレビ出演し「失恋レストラン」を披露。同年4月には格闘家としてのデビューを発表し、俳優の押尾学にキックボクシング対決を申し込むが[5]、押尾にブログを経由して拒否され、立ち消えとなった。 2008年1月31日、記者会見にて芸能界への復帰を表明。看板シリーズ『首領への道』の原作家である村上和彦を後見人とし、1か月ごとの定期健診を条件に、俳優・歌手業の再開を宣言したものの[6]、どこのプロダクションも清水を獲得しようとしなかった[3]。 2008年2月6日、宮川賢司会のラジオ番組『バツラジ』に出演。
経歴
「失恋レストラン」でブレイク
俳優活動
オリジナルビデオ・Vシネマへの出演
メディア出演の再開
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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