きよかわ にじこ
清川 虹子
1940年撮影
本名関口 はな
生年月日 (1912-11-24) 1912年11月24日
没年月日 (2002-05-24) 2002年5月24日(89歳没)
出生地 日本・千葉県東葛飾郡松戸町(現:松戸市)
死没地 日本・神奈川県川崎市高津区
職業女優
ジャンル舞台・テレビドラマ・映画
配偶者中条金之助
清川 虹子(きよかわ にじこ、1912年〈大正元年〉11月24日 - 2002年〈平成14年〉5月24日)は、日本の喜劇女優。本名:関口 はな[1]。千葉県東葛飾郡松戸町(現:松戸市)出身[2]。淡路尋常小學校卒業、神田高等女學校中退。 1924年、東京府東京市神田区の尋常小學校を卒業。神田高等女學校を中退。1928年、川上貞奴主宰の児童劇団へ入団し[1]、貞奴最後の弟子となる[3]。1929年、市民座へ入り、座員の中条金之助
人物・略歴
その後、芸能界に復帰し、『サザエさん』シリーズに磯野フネ(舟)役でレギュラー出演した。1949年、新東宝などの喜劇作品で多数共演した伴淳三郎と結婚したが[1]、伴のあまりの女癖の悪さが原因で1959年に離婚(但し、交流は伴の死まで続いた)。1960年代後半からは藤純子主演の『緋牡丹博徒シリーズ』、若山富三郎主演の『極道シリーズ』などに助演し、東映の仁侠映画を支えた。1983年、『楢山節考』に出演し[4]、70歳にして初ヌードを披露した[4]。榎本健一や伴らと並ぶ喜劇役者として大成し、喜劇女優の代表格とされた。
1989年、友部達夫の年金党に参加。第15回参議院議員通常選挙比例代表に出馬したものの落選(選挙運動での桃太郎のコスプレが話題となったほか、オレンジ共済組合事件発覚時は「騙された!」と号泣していた)。1990年勲四等瑞宝章を受章[4][5]。
1998年頃から体調を崩して入退院を繰り返していた。2002年5月24日午前3時37分、肺出血のため神奈川県川崎市高津区の病院で死去[4]。満89歳没(享年91)。
『サザエさん』シリーズで共演していた歌手・女優の江利チエミとは公私にわたり親交があり、芸能界デビュー前に実母を亡くしていたチエミからは「お母さん」と呼ばれて実母のように慕われていた。だが、1982年2月にチエミが45歳の若さで急病死し、清川は大きなショックを受けたようで「チーちゃん(チエミの愛称)、ウソでしょう…」と泣き崩れていた。
栄典
1990年 - 勲四等瑞宝章受章[5]
主な出演作品
映画
只野凡児・人生勉強(1934年)
サーカス五人組(1935年) - 女給・おきよ 役
吾輩は猫である(1936年) - 車夫の女房
これは失礼(1936年)
彦六大いに笑ふ(1936年) - おあさ 役
見世物王国(1937年)
巨人傳(1938年) - お仙 役
綴方教室(1938年) - 正子の母・お雪 役
忠臣蔵(1939年)
白蘭の歌(1939年) - 芸者・歌丸 役
樋口一葉(1939年)
煉瓦女工(1940年)‐ お作 役
新編 坊っちゃん(1941年)
白鷺(1941年) - 内箱おかに 役
阿波の踊子(1941年) - おきよ 役
昨日消えた男 (1941年の映画)(1941年) - 女房・おこん 役
愛情診断書(1948年)
エノケンのホームラン王(1948年)
生きている画像(1948年) - お神さん 役
果てしなき情熱(1949年) - 石狩すて 役
ジャコ萬と鉄(1949年) - マサ 役
のど自慢狂時代(1949年) - およし 役
小原庄助さん(1949年) - マーガレット中田 役
おどろき一家(1949年) - 奥様・くら子 役
青空天使(1950年) - 安吉の女房 役
腰抜け二刀流(1950年) ‐ おとせ 役
母情(英語版)(1950年)
鞍馬天狗 大江戸異変 (1950年)
バナナ娘(1950年)
目下恋愛中(1951年)
母は慕いて(1951年)
東京河童まつり(1951年)
のど自慢三羽烏(1951年)
極楽六花選(1951年)
大当たりパチンコ娘(1952年)
青春ジャズ娘(1953年) - 皆川夫人 役
阿波おどり狸合戦(1954年) - 腰元・おむつ 役
ハワイ珍道中(1954年) - 清子 役
二十四の瞳(1954年) - よろずや
エノケンの天国と地獄(1954年)
お嬢さん先生(1955年)
綱渡り見世物侍(1955年) ‐ 座頭蘭々斎天花 役
くちづけ (1955年の映画)(1955年) - 金井テツ子 役
花嫁会議(1956年) - 宮本先生 役
若い樹(1956年) - 小泉かつ子 役
白夫人の妖恋(1956年) - ?容 役[6]