清元 登子 Takako KIYOMOTO
基本情報
名前清元 登子
生年月日 (1939-06-15) 1939年6月15日
没年月日 (2017-09-16) 2017年9月16日(78歳没)
国籍 日本
出身地熊本県熊本市
経歴
プロ転向1974年=LPGA14期
優勝数
日本LPGA7
成績
初優勝大雪山女子オープン(1975)
賞金ランク最高位日本女子:3位(1975,1976)
日本プロゴルフ殿堂 殿堂表彰者
選出年2017年
選出部門レジェンド
2019年10月20日現在
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清元 登子[1](きよもと たかこ 、1939年6月15日 - 2017年9月16日[2])は熊本県熊本市出身の日本の女子プロゴルファー、ゴルフ指導者[3]、元日本女子プロゴルフ協会会長である[3]。 24歳で初めてゴルフクラブを握り、始めておよそ2年後の1965年の「日本女子アマチュアゴルフ選手権競技」において初出場で3位となる[3]。 1968年に行われた第1回「TBS女子オープン」(後の日本女子オープンゴルフ選手権競技)ではベストアマチュアになった[4]。1969年、1972年、1973年に「日本女子アマチュアゴルフ選手権競技」で優勝[3]。 1973年の「トヨトミレディス」において、アマチュアとして史上初めてのツアー優勝を果たす[5]。 1974年に日本女子プロゴルフ協会(LPGA)に入会しプロ転向、LPGA14期生となる[1]。 1975年「大雪山女子オープン」でプロ初優勝、同年は「諏訪湖女子オープン」でも優勝、年間獲得賞金ランキング(賞金ランク)3位となった[6]。 1976年「大分月形国際オープン」優勝、賞金ランク3位[6]。同年から全米女子プロゴルフ協会ツアーにも参戦した[3]。 1977年「諏訪湖女子オープン」、1978年公式戦「日本女子オープンゴルフ選手権競技」、1980年「北海道女子オープンゴルフトーナメント」、1981年「広島女子オープンゴルフトーナメント」をそれぞれ優勝、プロとしてツアー通算7勝をあげた[6]。 1983年シーズンを最後にツアーを引退[3]。 LPGAの役職にはツアー選手時代の1980年から監査役等についており、1993年から副会長1期、1995年から会長1期、1997年から再び副会長5期を務め、ティーチング資格制度の立ち上げやジュニア指導者の育成に尽力[5]。 2012年にLPGAを退会し、同会の顧問に就任[3]。 2017年2月、日本プロゴルフ殿堂のレジェンド部門顕彰者に選出[7]。 また指導者としての名声も高く、不動裕理、大山志保、古閑美保の3人の賞金女王を育てた[3]。 2017年9月16日、誤嚥性肺炎のため神奈川県横浜市内で死去[2]。78歳没。
来歴
関連項目
日本女子プロゴルフ協会
ゴルファー一覧
熊本市出身の人物一覧
出典^ a b “清元 登子 プロフィール詳細
^ a b “女子ゴルフ界の大功労者、清元登子さん死去 78歳
表
話
編
歴
日本女子オープンゴルフ選手権競技優勝者
1960年代
68 樋口久子
69 樋口久子
1970年代
70 樋口久子
71 樋口久子
72 佐々木マサ子
73 小林法子
74 樋口久子
75 二瓶綾子
76 樋口久子
77 樋口久子
78 清元登子
79 吉川なよ子
1980年代
80 樋口久子
81 大迫たつ子
82 日蔭温子
83 ?阿玉
84 大迫たつ子
85 森口祐子
86 ?阿玉
87 吉川なよ子
88 谷福美
89 小林浩美
1990年代
90 森口祐子
91 ?阿玉
92 日蔭温子
93 岡本綾子
94 服部道子
95 塩谷育代
96 高村亜紀
97 岡本綾子
98 野呂奈津子