清の兵制
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儀礼用の鎧に身を包んで騎乗する乾隆帝ジュゼッペ・カスティリオーネ

(1616?1912)は征服により成立した王朝で、軍隊によって維持されていた。建国時の皇帝は個人的に軍隊を組織して率いた。その後も帝国の文化的、政治的な正統性は、外敵から国を守り、領土を拡張することに根拠をおいていた。従って、軍事組織、指導者、および財政は、帝国の初期の成功と、その最終的な崩壊の、いずれにとっても根本的な要因であった。

初期の兵制は八旗を中心にしたものであった。八旗は社会的、経済的、および政治的な役割を兼ねた団体であった[1]。「旗」の制度は1601年には非公式な形で発達し、1615年には女真の指導者ヌルハチ(1559?1626、遡及的に清国の建国者とみなされている)によって公的な制度とされた。ヌルハチの息子ホンタイジ(1592?1643)は、さらに「旗」の制度を発展させ、満州人による「旗」(満洲八旗)と同様にモンゴル人による八旗(蒙古八旗)を創設したほか、1644年から始まった明朝の完全征討戦より前に降伏していた漢人から成る八旗(漢軍八旗)も創設した。1644年以降、清に降伏した明軍は緑営に編入された。緑営の兵力は最終的には「旗」の三倍になった。

満州人の皇太子が八旗を率いて明軍を破ったが、1683年以降は平和が続き、八旗も緑営も有効性を失っていき始めた。都市に駐屯して、兵士たちが訓練する機会もほとんどなかった。それでも清は優秀な装備と兵站を活用して、中央アジア方面に深く攻め入り、1759年にはモンゴル系のジュンガル部を破り、新疆の征服を果たした。帝国は乾隆帝(在位1735?1796)の十全武功を誇りとしたが、それとは裏腹に、18世紀末には清軍はかなり有効性の低い軍隊になっていた。装備の貧弱な白蓮教徒の乱(1795?1804)を鎮圧するのに、莫大な戦費を投じて十年を要し、しかもその一部は地方の漢人エリート(郷紳)によって率いられた義勇兵(郷勇)を認めたことより、ようやく鎮圧できたのであった。太平天国の乱(1850?1864)では、大規模な蜂起が華南で始まり、1853年には北京から数キロの所まで侵入された。清の朝廷は漢人の総督曽国藩をして、地方軍(湘軍)を創設させるしかなかった。この新しい種類の軍隊とその漢人指導者たちによって反乱は鎮圧されたが、そのことは軍事組織における満州人の優位が終わる兆しともなったのである。

産業革命の起こった欧州で軍事技術が発展したことにより、清軍の武器・装備は急速に陳腐化していった。1860年の第二次アヘン戦争では、イギリス軍とフランス軍が北京を占領し、円明園を略奪した。衝撃を受けた朝廷は欧州の技術を購入することにより、軍と工業の近代化を進めようとした。この自強運動により造船所(主なものは江南機器製造総局福州船政局)を設置し、欧州から近代的な大砲や軍艦を購入した。清国海軍は東アジアで最大の規模になった。しかし組織や兵站は不十分で、将校の訓練にも欠陥があり、腐敗が広く蔓延していた。北洋艦隊は1895年の日清戦争でほぼ壊滅した。清は新軍を創設したが、1900年の義和団の乱の際の八カ国連合軍による侵略を防ぐことはできなかった。その後、1911年に起こった新軍の反乱が帝国の滅亡につながった。
八旗の制度詳細は「八旗」を参照乾隆帝の南方行幸、第12巻:宮殿への帰還(拡大図),1764?1770,徐揚画

17世紀初期のヌルハチによる満州民族の統一と、帝国への挑戦の成功の鍵となったものの一つは八旗の創設であった。八旗は満州人のみで構成される団体で、軍事的な効率性を持つとともに、経済的、社会的、政治的な役割も併せ持っていた[2]。遅くとも1601年[3]には、ヌルハチは配下の兵士たちとその家族らを「ニル」と呼ばれる常設の大隊に登録させた。「ニル」というのは、女真族の男たちが伝統的に軍事教練や戦争遂行のために編成した小部隊の名称からとったものである[4]。1607年までには、これらの大隊をさらに大きな「グサ」あるいは「旗」と呼ばれる単位にまとめた。「旗」は軍旗の色(黄、白、紅、藍)で区別された[5]。1615年には各旗に紅の縁取り[6]を加えた「旗」を編成して、女真族の軍隊として全部で八旗とした[5]。「旗」の制度においては、ヌルハチの新国家に敗れた他の女真の部族を単純に大隊として編入することで吸収できた。この統合の制度によって、女真の社会が小さな部族単位の縁組を超えて再編成されることにもつながった[7]

清の支配は万里の長城の北まで拡大し、「旗」の制度も拡大を続けた。モンゴル系のチャハルを他のモンゴル部族の力を借りて1635年に破って間もなく、ヌルハチの息子で後継者のホンタイジは新しいモンゴル系の家来と同盟者を蒙古八旗に編入し、元からある満洲八旗と並立させる体制とした[8]


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