深谷知広
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競艇選手の「深谷知博」とは別人です。

深谷 知広
Tomohiro Fukaya

2018年UCIトラック世界選手権大会にて
基本情報
本名深谷 知広
ふかや ともひろ
愛称平成の怪物[1]
生年月日 (1990-01-03) 1990年1月3日(34歳)
身長169cm
体重90kg
選手情報
所属日本競輪選手会静岡支部
ホーム静岡
期別96期
脚質先行
アマチュア経歴
2005-2007桜丘高等学校
登録地変遷
2009-2020
2021-愛知(豊橋)
静岡
業績
S級S班2012-2015, 2018, 2024

特別競輪勝利

GI高松宮記念杯競輪2011
GIェ仁親王牌2014
GIIヤンググランプリ2010
GII西日本王座決定戦2012
GIIサマーナイトF2014
GII共同通信社杯2023


自転車競技情報

獲得メダル

トラックレース
日本
アジア大会
2018 ジャカルタスプリント
2018 ジャカルタチームスプリント


■最終更新日:2024年5月9日  ■テンプレートを表示

深谷 知広(ふかや ともひろ、1990年1月3日 - )は、競輪選手愛知県安城市出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第96期卒業。日本競輪選手会静岡支部所属。師匠は金子貴志。身長169cm、体重90kg。
来歴
競輪選手デビュー前

軽自動車からスーパーカーまで車が好きで、競輪選手を目指したきっかけも小学生の時に、競輪ファンの父親から「競輪選手になったら、あの車買えるぞ!」と言われたことだという[2]

師匠と同じ出身校である桜丘高校在学中の2007年8月7日メキシコアグアスカリエンテスで開催されたジュニア世界選手権自転車競技大会の1kmタイムトライアルにおいて、1分05秒238のジュニア日本新記録を樹立。また、同年に開催された第62回国民体育大会・少年スプリントで優勝。2008年4月、奈良競輪場で行われた第28回アジア自転車競技選手権大会のジュニア部門において、のちに競輪学校で同期となる雨谷一樹らとともに個人スプリント、チームスプリント、ケイリンの短距離三冠を達成。
史上最速・無敗でのS級特進

2008年5月、競輪学校に第96期生として入学[3]2009年7月22日、ホームバンクである豊橋競輪場でデビュー戦を迎え、2着選手に大差をつける圧勝劇を演じた。また、23日の準決勝、24日の決勝も勝ち、この開催の完全優勝を達成。その後、名古屋岸和田でも完全優勝を果たし、上原龍(95期)に続いて、2008年にA級チャレンジ制度が設けられてから史上2人目となる、無敗のA級2班(A2)特別進級(以下、特進と表記)を果たした。

さらにA級に昇進してからも、名古屋、福井で完全優勝を果たし、続く大津びわこ競輪場での開催で、菊地圭尚(89期)が持つ、デビューからのS級特進最短記録89日の更新に期待がかかった[4]。前2日間とも1着で勝ち上がった深谷は、同年9月15日に行われたA級決勝戦において、2着に大差をつける圧勝劇を演じて、新制度導入以降前人未到のデビューから無敗で6場所連続完全優勝(無敗記録18)を達成[5]。デビューからわずか56日でS級特進を決めた[6]。また、1990年生まれ平成生まれの競輪選手としては、初のS級昇格となった。

その後、11月11日開幕の大垣FI戦でS級デビューを迎え、初日、2日目と連勝。しかし同月13日に行われた決勝戦でゴール寸前、榊枝輝文に交わされ、連勝記録は20でストップした[7]。また、2009年10月に境川自転車競技場で行われた、全日本自転車競技選手権大会・個人スプリントを優勝。

2010年、4月にルーキーチャンピオンレース武雄競輪場)優勝。高松宮記念杯でGIデビューを果たし[8]競輪祭小倉競輪場)でGI初優出(7着)。12月28日に行われたヤンググランプリ立川競輪場・GII)では、バック付近8番手の位置から、2センター付近で捲り追い込みを試み、ゴール直前で前団勢をまとめて交わし優勝。デビューから1年159日であり、史上最速での達成(当時)であった[9]
史上最速のGI制覇

2011年よりS級1班に昇班し、直後初のレースとなった1月の立川競輪G3で記念競輪を初優勝すると、6月に前橋競輪場で開催された第62回高松宮記念杯競輪決勝では最終ホームから一気に捲り切り、そのまま押し切ってG1初優勝をデビュー最短記録更新で飾り(684日目で従来は吉岡稔真[10])、1990年代生まれ平成生まれ初のタイトルホルダーとなった。これにより出場権を獲得したKEIRINグランプリ2011では逃げて7着となっているが、このレースの下馬評では、村上義弘との新旧先行日本一対決となるというものであったのにもかかわらず、優勝した山口幸二アシストに徹したとも取れる競走を行ったため、一部からは激しい批判が起きた。12月27日よりS級S班に昇班した。

2012年2月高知競輪場で開催された東西王座戦西王座戦で、内側に押さえ込まれ続けながらも最終4角で隙を突いて抜け出し、最終開催だったこのレース最後の優勝者となった。その後も日本選手権競輪熊本)・高松宮記念杯競輪函館)・ェ仁親王牌弥彦)の決勝に進出し、年間獲得賞金上位(5位)でKEIRINグランプリ2012へ出場したが8着となる。

2013年日本選手権競輪では、準決勝において後方からの捲りで立川競輪場の記録タイムを0.3秒縮めるバンクレコードを樹立した。翌日の決勝では2着となったが、その後の特別でも決勝での2着が続いてしまい、年間ではGI4回・GII1回で決勝2着という優勝まであと一歩のレースが多かった。しかし、そのうち2回のGIで師匠である金子貴志を優勝に導く走りを見せ、さらに同年はGIタイトル無冠ながらも年間獲得賞金は1億円を超え賞金ランキング1位となったことでKEIRINグランプリ2013への出場を決めた。そして、ここでも師匠の金子貴志をグランプリ優勝へと導く先行を見せ自身は6着となった。

2014年日本選手権競輪名古屋)の決勝で3着となった後、7月のェ仁親王牌(弥彦)の決勝で打鐘過ぎに前のインを突いて出ようとしたところで外から駆けてきた中川誠一郎の番手にはまり、最終バックからの番手捲りで3年ぶりに特別競輪を優勝した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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