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ふかえ しょうき
深江 章喜
本名深江 和久
生年月日 (1928-01-14) 1928年1月14日
没年月日 (2015-11-01) 2015年11月1日(87歳没)
出生地 日本, 東京府(現・東京都)
死没地東京都
職業俳優
ジャンル映画、テレビドラマ
活動期間1954年 - 2015年
活動内容映画、テレビドラマ
著名な家族深江卓次(息子)
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深江 章喜(ふかえ しょうき、1928年1月14日[1] - 2015年11月1日)は、日本の俳優。本名及び旧芸名は深江 和久[1]。
東京府(現・東京都)出身。石原プロモーション、グループ71[1]に所属していた。
俳優の深江卓次は息子。 戦時中は海軍特別年少兵として空母信濃に乗り込み、九死に一生を得る[2]。 舞台活動を経て、1954年、映画製作を再開して間もない日活に入社。当初は端役が多かったが、アクション映画の台頭と共に頭角を表し、小林旭の『渡り鳥』シリーズをはじめ数々の作品でギャングなどの悪役を演じた。 1971年に日活を退社し、東映を中心に各社の映画に出演する一方、テレビドラマにも本格的に進出。日活映画での凄味のある悪役とは対照的に、子供向けドラマなどではコミカルな役も演じて持ち味を発揮した。 2015年11月1日都内の病院で心不全のため死去[3]。87歳没。
来歴・人物
出演
映画
俺の拳銃は素早い(1954年、日活)
銀座二十四帖(1955年、日活)
ビルマの竪琴(1956年、日活)
太陽の季節(1956年、日活)
地底の歌(1956年、日活) - 一郎
月蝕(1956年、日活) - バンドの本多
海の野郎ども(1957年、日活) - 菊浦の乾分D
鷲と鷹(1957年、日活)
俺は待ってるぜ(1957年、日活) - 柴田の乾分E
嵐を呼ぶ男(1957年、日活)
夜の牙(1958年、日活) - 乾分D
未練の波止場 (1958年)
夜霧の第二国道
錆びたナイフ(1958年、日活) - 乾分A
明日は明日の風が吹く(1958年、日活) - 難波田の乾分A
霧の中の男(1958年、日活)
踏みはずした春(1958年、日活)
風速40米(1958年、日活) - 石井
夜の狼(1958年、日活) - 八木直人
嵐の中を突っ走れ(1958年、日活) - 助川組の五郎
紅の翼(1958年、日活) - 新聞記者E
今日に生きる(1959年、日活) - 三木
男が爆発する(1959年、日活) - 殺し屋
山と谷と雲(1959年、日活) - 鈴木
世界を賭ける恋(1959年、日活) - 原田
網走番外地(1959年、日活)
俺は挑戦する(1959年、日活)
二連銃の鉄(1959年、日活)
爆薬に火をつけろ(1959年、日活)
ゆがんだ月(1959年、日活) - 岡山刑事
男なら夢をみろ(1959年、日活) - 古川
清水の暴れん坊(1959年、日活) - テキサスのバーテン
大学の暴れん坊 (1959年)
天と地を賭ける男(1959年、日活)
男が命を賭ける時(1959年、日活) - 川崎
鉄火場の風(1960年、日活)
やくざの詩(1960年、日活)
青年の樹(1960年、日活)
海を渡る波止場の風(1960年、日活)
赤い夕陽の渡り鳥(1960年、日活)
霧笛が俺を呼んでいる(1960年、日活)
打倒ノック・ダウン(1960年、日活)
海の情事に賭けろ(1960年)
都会の空の用心棒(1960年、日活)
波濤を越える渡り鳥(1961年、日活)
ろくでなし稼業(1961年、日活)
太陽、海を染めるとき(1961年、日活)
高原児(1961年、日活)
あいつと私(1961年、日活)
大森林に向かって立つ(1961年、日活)
黒い傷あとのブルース(1961年、日活)
北帰行より 渡り鳥北へ帰る(1962年、日活)
激流に生きる男(1962年、日活)
さすらい(1962年、日活)
銀座の恋の物語(1962年、日活)
借別の歌(1962年、日活)
遥かなる国の歌(1962年、日活)
地獄の夜は真紅だぜ(1962年、日活)
望郷の海(1962年、日活)
俺の背中に陽が当る(1963年、日活)
夜霧のブルース(1963年、日活)
風が呼んでる旋風児 銀座無頼帖(1963年、日活)
夕陽の丘(1964年、日活)
鉄火場破り(1964年、日活)
さすらいの賭博師(1964年、日活)
黒い海峡 (1964年)
投げたダイスが明日を呼ぶ(1965年、日活)
青春の裁き(1965年、日活)
秩父水滸伝 必殺剣(1965年)
真紅な海が呼んでるぜ(1965年、日活)
赤い谷間の決斗(1965年)