深江 真登オリックス・バファローズ時代
(2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて)
基本情報
国籍 日本
出身地神奈川県相模原市
生年月日 (1987-09-05) 1987年9月5日(32歳)
身長
体重176 cm
75 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション外野手
プロ入りNPB / 2010年 ドラフト5位
初出場NPB / 2011年4月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
松商学園高等学校
龍谷大学
明石レッドソルジャーズ (2010)
オリックス・バファローズ (2011 - 2014)
ランカスター・バーンストーマーズ (2015)
ゲーリー・サウスショア・レイルキャッツ (2016)
高知ファイティングドッグス (2016 - 2017)
派遣歴
メルボルン・エイシズ (2015)
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深江 真登(ふかえ まさと、1987年9月5日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 松商学園高校時代の2年秋に強肩を買われて外野手から投手へと転向する。翌年の3年夏にはエースとして2年の宮島晃一と2本柱を作り、5年ぶりに甲子園出場を果たす。初戦の沖縄尚学高戦に先発するも、3回途中3失点で降板し敗退[1]。予選の長野県大会では、4試合で打率5割(10打数5安打)、2盗塁の成績を残すなど、当時から打撃も良かった。 高校卒業後、龍谷大学に進学するも右肘を痛め公式戦での登板は無し。 大学で実績が残せずに実業団などからも声がかからなかったものの、野球への情熱は冷めることなく、トライアウトを経て関西独立リーグの明石レッドソルジャーズに入団し野手に転向[1]。主にトップバッターとして1、3番に定着。初年度で同リーグ打率2位、出塁率、盗塁、長打率で5位という成績を残した。シーズン序盤から多くのスカウトが注目。関係者によるとオリックス・バファローズ、横浜ベイスターズ、広島東洋カープなどが強い関心を持っていると報じられた。深江自身の回想では「顔と名前を覚えてもらう」ため、スカウトを見つけると自ら頭を下げて売り込んでいたという[1]。同年10月28日、ドラフト会議にて、オリックスから5位指名を受ける[2][3]。関西独立リーグ初(支配下枠指名者としては結果的に唯一)のドラフト指名選手となった。ドラフト指名後、所属先であった明石は経営難により翌年度前期で活動休止に伴うチーム解散となり、練習場所を失った深江は合流までの期間オリックスの練習場を借りることとなった。 2011年、春季キャンプからドラフト1位の駿太とともに一軍キャンプに帯同。俊足を武器に実力をアピールし、共にルーキー開幕一軍を勝ち取った。この年は一軍で29試合に出場し、8月からはスタメン出場する機会も得た。8月9日の対楽天戦では、10回裏1死に竹原直隆の代走として出場してプロ初盗塁を決め、鈴木郁洋の遊撃ゴロの間に三進するという果敢な走塁を見せ、赤田将吾のサヨナラ安打でサヨナラのホームを踏んだ。また、8月14日の対西武戦でも10回裏2死にアーロム・バルディリスの代走として出場し、李承Yのサヨナラ本塁打でサヨナラのホームを踏んでいる。9月15日の対楽天戦でも、延長10回裏に安打を放って出塁すると、赤田将吾の適時打でサヨナラの走者となっている。 2012年はシーズン終盤までほとんど二軍暮らしであったが、9月26日に一軍登録されると、同日の対ソフトバンク戦でスタメン出場。この試合で4回裏にスクイズヒットでプロ初打点をあげてチームの連敗を12で阻止したのに貢献する等、8試合で打率.375、2打点の好成績を収めた。また、2本の三塁打を放ち俊足ぶりを発揮した。 2014年、糸井嘉男が北海道日本ハムファイターズから移籍したことで外野のレギュラーポジション入りが難しくなり、また打撃フォームをオープン戦で崩したこともあって、代走や守備での出場がメインとなった[1]。10月25日、戦力外通告を受ける[4][5]。12月2日、自由契約公示された[6]。 2015年2月4日に、元同僚の柿原翔樹と共にアトランティック・リーグのランカスター・バーンストーマーズと契約を結んだ[7]。しかし11試合の出場で打率.156に終わり、5月20日に解雇となった。11月にオーストラリアン・ベースボールリーグのメルボルン・エイシズに入団。 2016年2月に独立リーグ・アメリカン・アソシエーションのゲーリー・サウスショア・レイルキャッツと契約した。出場なしで5月8日にいったん自由契約となるが、19日に再契約。しかし27試合で打率.159にとどまり、6月26日に解雇となった。7月29日、四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスに入団することが発表された[8]。高知への入団はNPB復帰に向けた「最後の挑戦」という位置づけだった[1]。高知では後期の34試合に出場し、規定打席数不足ながら打率.386、21打点を記録した[9]。
目次
1 経歴
1.1 アマチュア時代
1.2 明石時代
1.3 オリックス時代
1.4 オリックス退団後
2 プレースタイル
3 人物
4 詳細情報
4.1 年度別打撃成績
4.2 年度別守備成績
4.3 記録
4.4 独立リーグでの打撃成績
4.5 背番号
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
経歴
アマチュア時代
明石時代
オリックス時代
オリックス退団後
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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