深大寺
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この項目では、東京都調布市の寺院について説明しています。東京都三鷹市の地名については「深大寺 (三鷹市)」を、横浜市の地名については「神大寺」をご覧ください。

深大寺
本堂
(2018年2月13日撮影)
所在地東京都調布市深大寺元町五丁目15番地1
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分3.09秒 東経139度33分1.7秒 / 北緯35.6675250度 東経139.550472度 / 35.6675250; 139.550472座標: 北緯35度40分3.09秒 東経139度33分1.7秒 / 北緯35.6675250度 東経139.550472度 / 35.6675250; 139.550472
山号浮岳山[1]
院号昌楽院[2]
宗派天台宗[2]
寺格別格本山
本尊宝冠阿弥陀如来[1]
創建年天平5年(733年[1]
開基満功上人[3]
正式名浮岳山 昌楽院 深大寺[1]
札所等多摩川三十四ヶ所観音霊場客番
調布七福神(毘沙門天
文化財釈迦如来倚像(国宝
梵鐘重要文化財
公式サイト ⇒深大寺ホームページ
法人番号1012405000952
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深大寺(じんだいじ)は、東京都調布市深大寺元町にある仏教寺院天台宗別格本山で、山号は浮岳山。

日本三大だるま市の一つ「深大寺だるま市」で知られている[4]。隣接する東京都立神代植物公園は旧寺領であった。
沿革

「深大寺」の名称は、仏法を求めて天竺(インド)へ旅した中国代の僧玄奘三蔵を守護したとされる水神「深沙大王」(じんじゃだいおう)に由来していると伝えられている[5]奈良時代の733年(天平5年)、満功上人法相宗の寺院として開創したと伝える[2]。東京都では浅草寺(同寺縁起によれば628年開基)に次ぐ古刹である。

平安時代859年、天台宗へ改宗する[注釈 1]江戸時代1646年1865年に火災に遭い、堂宇の大半を失っている。現在の本堂は大正時代の再建である。

本尊は本堂に安置されている宝冠阿弥陀如来像。他に、元三大師(がんざんだいし)像を秘仏として祀る[6]。元三大師は、などに姿を変えて衆生を疫病から救う「鬼大師」とも呼ばれるため、深大寺の節分会豆まき式では「福は内」を発声するものの「鬼は外」を言わない[7]
文化財
国宝銅造釈迦如来倚像(国宝)
銅造釈迦如来倚像
1909年明治42年)に元三大師堂の壇の下から発見されたもので、現在は釈迦堂に安置。飛鳥時代後期(白鳳時代)、7世紀の作。像高(坐高)60.6センチメートル (cm)、全高83.5 cm。関東地方には数少ない古代の仏像であり、童顔の面相、眉から鼻に連なる線、平行して流れる衣文、適度に張りつめた肉付けなどは、時代の特色を表している。下腿部の互い違いに表された衣文、両足間の三角状の衣文、裳裾部分の衣文の処理などはいずれも法隆寺の銅造観音菩薩立像(通称「夢違観音」)と共通する。像内は頭部内面まで空洞である。像は火災に遭っており、表面の鍍金はほとんど失われている。倚像(いぞう)は、椅子に腰掛けたポーズの像を指す。日本の仏像では倚像は比較的珍しいが、7 - 8世紀の金銅仏には作例を見る[8]。本像は2017年平成29年)9月15日付けで国宝に指定された[9][10]
重要文化財(国指定)
梵鐘
1376年永和2年)、山城守宗光なる人物が鋳造した旨の銘があり、都内では3番目に古い。総高125.5 cm、口径68.8 cm、製。ひび割れなどの影響から、2001年8月15日に新しい梵鐘が鋳造され、元の梵鐘は釈迦堂に保管されている。
その他
山門
元禄8年(1695年)に建てられたもので、深大寺で最も古い建造物。

山門(2018年2月13日撮影)

参道から本堂を見る(2018年2月13日撮影)

元三大師堂(2018年2月13日撮影)

釈迦堂(国宝 白鳳仏)(2018年2月13日撮影)

深大寺バス停付近の門前

深大寺参道のにぎわい

水と深大寺

深大寺は湧水の多い国分寺崖線の崖面に抱かれるように立地し、現在でも境内に複数の湧水源を持つ。湧水を利用した「不動の滝」は「東京の名湧水57選」に選定されている[11]。門前町の側溝には多量の水が流れ、また周囲には神代植物公園の分園・水生植物園やわさび田を擁する都立農業高校神代農場など、谷戸地形と潤沢な水を利用した施設が広がっている。

崖線から湧き出す豊富な水は古くから田畑を潤し、人びとの素朴な信仰を集めてきた。深大寺によれば、水源地であるがゆえに霊場でもあったこの地が仏教の伝来以降あらためて注目され、“水神「深沙大王」”ゆかりの深大寺建立に至ったのではないかという[12]

深大寺そば」が付近の名物として発達したのも水の恵みと無関係ではない。蕎麦の栽培、そば打ち、釜茹で、晒しに湧水が利用されただけでなく、水車を利用してのそばの製粉も行われてきた。
行事
厄除
元三大師大祭(やくよけがんざんだいしたいさい)
毎年3月3日?4日に行われ、深大寺だるま市(日本三大だるま市の一つ)として知られている。寺最大の行事であり、300店程の店が軒を並べて10万人前後の人々が訪れる。江戸中期、300年前から存在すると言われる。願掛けの際に梵字で「ア」、願いが叶ったら「ウン」の字を入れる。お練り行列や元三大師御影供(がんざんだいしみえく)がとり行われる。
深大寺鬼燈まつり(ほおずき祭り)


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