深夜放送
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、ラジオ放送における編成・放送番組について説明しています。テレビの深夜放送については「深夜番組#テレビ」をご覧ください。

深夜放送(しんやほうそう)は、深夜から早朝の時間帯(0時 - 5時頃)における放送のこと。一般的にラジオ放送および、その枠内におけるラジオ番組全体を指す。

この項では、ラジオ放送における終日放送体制(ブランケット・カバレッジ)の構築についても扱う。
日本の深夜放送
歴史

日本では当初、民放AM局が深夜放送の人気の中心となった。AM放送は電離層の関係で夜になると受信範囲が広がる特性があった。

日本放送協会(NHK)のラジオ放送は1990年に深夜放送を開始した。
草創期

日本における深夜放送は、民間放送の開局と同時に始まった。1952年4月1日にラジオ東京(TBSラジオの前身)が占領軍[注 1]の軍人とその家族をターゲットとして放送を開始した『イングリッシュ・アワー』がその嚆矢とされる[1]。同月6日には文化放送が深夜1時から日本語アナウンスでの紹介による洋楽番組『S盤アワー』を開始している。

1959年10月10日[2]より、ニッポン放送では子会社「株式会社深夜放送」(フジサンケイエージェンシーの前身)が深夜から早朝の従来放送休止にあてていた枠を利用して、のちに『オールナイトニッポン』の前身となるディスクジョッキー(DJ)による音楽番組オールナイトジョッキー』の放送を開始した。日本の放送史上初の24時間放送の実現でもあった[2]。その後、ラジオ関東(アール・エフ・ラジオ日本の前身)も深夜放送に参入した。

なお、この当時、終夜放送を行っていたのはニッポン放送(株式会社深夜放送)のみで、それ以外のいずれの局も、遅くとも3時頃には放送を終了していた。また、これらの番組は「大人」が対象であり、のちの若者を主要対象とする時代と編成方針が大きく異なった[3]
民放ラジオ「復活」

日本では、テレビ放送の開始とラジオの小型化(トランジスタラジオ)が、ライフスタイルと各放送波の関わりを大きく変えた。具体的には、テレビ放送は茶の間で、ラジオ放送は各自の部屋か仕事場で楽しむものとして定着しつつあった[3][4]。その反面、当時、ラジオだけを所有する人はラジオ受信料を支払う義務があったため、テレビ受信契約を結んだ上でテレビ・ラジオを所有するか、テレビもラジオも持たないかで消費傾向が分かれ、ラジオ受信契約数はテレビの普及にともなって減少した。これと比例するように、民間ラジオ放送局の業績に、一定の伸び悩みが生じた(ラジオ離れ#1960年代も参照)。これを打開するために各局が新機軸として打ち出した2大編成がワイド番組と深夜放送だった[3]

折しも、労働者や学生などの都市住民を中心に「深夜族」と呼ばれる早朝まで起きている人々が増加し、放送に対する需要は高まっていた。1965年、文化放送は初の若者向け深夜ラジオ番組として『真夜中のリクエストコーナー』を土居まさるのDJでスタートさせた[1]。この成功に刺激される形で、1966年にはラジオ関東が『オールナイトパートナー』(6月10日開始 同局はこれで終夜放送達成[5])、朝日放送が『ABCヤングリクエスト』(4月開始 - 1986年10月まで放送[注 2])、ラジオ大阪が『オーサカ・オールナイト 夜明けまでご一緒に!』(12月開始 - 1968年10月まで放送[注 3])を開始するなど、各放送局が相次いで深夜放送を開始した[1]。翌年の1967年には『パックインミュージック』(TBSラジオ)、『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)、『MBSヤングタウン』(MBSラジオ)が放送開始した[1]。1967年度のラジオ広告費は前年度より15.4パーセントの大幅な増額となり、その後も上昇した[3]

1968年4月にはNHKのラジオ受信料が廃止[1][6][7]されて、ラジオを所持するためのコストが大幅に下がり、若者を中心に個人でのラジオ所有が爆発的に広まっていった。その1968年には『ミッドナイト東海』(東海ラジオ)がスタートし、1969年には文化放送が『セイ!ヤング』を放送開始した[1]

また、ラジオネットワークの整備により、地方局でも地元で東京発の深夜放送の聴取が可能となった[注 4]。多くの地方局では、1時 - 5時帯に『オールナイトニッポン』『パックインミュージック』のいずれかをネットし、その直前となる21時ないし23時 - 翌日1時帯に自社製作の番組を編成して、若者向けの総合的な編成枠とした。この例に『アタックヤング』(STVラジオ 1970年開始)・『ジャンボリクエストAMO』(東北放送 1969年開始)等が知られる。AM放送の中波は深夜帯において広い範囲で届く(電離層反射の影響)ことから、これら地方発の番組や、ネットされていないキー局の番組でも、多くの地域でリスナーが存在し、全国区の人気獲得に至った。1970年前後当時、ラジオの深夜放送ファンのことを『みみずく族』と呼んでいたことがあった[8]

このように若者向けの番組が人気を博する一方で、深夜3時以降の時間帯に、長距離トラック運転手向けの番組が登場する。1968年スタートの『日野ミッドナイトグラフィティ 走れ!歌謡曲』(文化放送)が先駆けとなり、1974年にはTBSラジオが『いすゞ歌うヘッドライト?コックピットのあなたへ?』をスタートさせ、早朝に近い時間帯で激しい聴取率獲得競争を演じた。

AM深夜放送隆盛の結果、1978年8月の時点で、全国で30社が終夜放送を行うようになった[9]

短波放送ではラジオたんぱ(ラジオNIKKEIの前身)が、1980年代に深夜の報道番組として『ニュース・オールナイト』を放送していた。
FMの登場・深夜編成の多様化

FMラジオにおいては、1967年に当時大学の実験局だったFM東海において放送を開始した『JET STREAM』が深夜放送の先駆けとされる。『JET STREAM』は初代DJ城達也の静かな語り口等もあって絶大な人気を博し、FM東海が民放・FM東京となった後も現在まで続く長寿番組となった。1972年、民放FM4社の調査では、FMで最も聴かれている時間帯は「21時から0時」だった。また、女性の聴取者の割合が高かった[3]

なお、AM放送と異なり、夜間の遠距離受信に適さない(FM放送に使われる超短波は電離層反射がほとんど起こらない)ことや、放送技術の未成熟(番組のやりとりが長らくテープネットに限られ、生放送の全国ネットができなかった)などから、大都市圏ローカルを除く独自の人気深夜放送の登場は次に述べる条件の整った1980年代以降を待たなければならなかった。

FM情報誌の隆盛、1981年ジャパンエフエムネットワーク(JFN)発足、1982年FM愛媛開局を皮切りとした地方FM局の開局ラッシュなどによって、FM深夜番組の需給環境が整った。1984年エフエム沖縄が前身のAM局極東放送から放送波転換で引き継いだ自社制作番組『メロディー・フェア』(後に『FMルート58』に改題)によって、日本のFM局で初の連日終夜放送を実施(その後自社制作番組を終了し一時期終夜放送を休止したがJFNラインネットで終夜放送を再開した)。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:38 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef