深井正樹
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深井 正樹

名前
愛称フカイ、ぷーちゃん、フカ
カタカナフカイ マサキ
ラテン文字FUKAI Masaki
基本情報
国籍
日本
生年月日 (1980-09-13) 1980年9月13日(42歳)
出身地山梨県南巨摩郡増穂町
(現富士川町)
身長161cm
体重61kg
選手情報
ポジションFW / MF
利き足左足
ユース
1989-1992増穂サッカースポーツ少年団
1993-1995甲西トラベッソジュニアユース
1996-1998山梨県立韮崎高等学校
1999-2002駒澤大学
クラブ1
年クラブ出場(得点)
2003-2008鹿島アントラーズ 92 (13)
2007→アルビレックス新潟 (loan) 18 (2)
2008→名古屋グランパス (loan) 5 (0)
2008→ジェフ千葉 (loan) 11 (4)
2009-2013ジェフ千葉 147 (29)
2014-2015V・ファーレン長崎 27 (1)
2016SC相模原 28 (5)
通算317 (50)

獲得メダル

ユニバーシアード
2001 北京サッカー


1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

深井 正樹(ふかい まさき、1980年9月13日 - )は、山梨県南巨摩郡増穂町(現:富士川町)出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード(FW)
来歴
プロ入り前

増穂小学校在学中に増穂サッカースポーツ少年団にてサッカーを始める。6年生で全国大会出場も経験。

増穂中学校に入学、甲西トラベッソ(旧甲西町・現南アルプス市)に入団。クラブの「ドリブルが得意な選手を育てる」指導方針の元、ドリブルという武器が生まれる。

1996年山梨県立韮崎高校に進学。1、3年時に全国選手権に出場し、いずれも早期敗退のため全国的には無名であったが、1回戦で敗退した3年の選手権終了後には「もっと見てみたい選手だった」と紹介する記事も存在した[1]

1999年駒澤大学に進学。巻誠一郎とコンビを組み「大学サッカー史上最高の2トップ」と謳われた。ユニバーシアード代表メンバーにも選出され、北京大会にて金メダル獲得。

第81回天皇杯全日本サッカー選手権大会2001年)ではJ1ジュビロ磐田を相手に2得点を挙げた。

2002年、駒澤大学を関東大学リーグ初優勝に導き、巻誠一郎と並び12得点で得点王にもなった。
鹿島アントラーズ

2003年鹿島アントラーズに入団。3月22日のJ1・1stステージ第1節浦和レッドダイヤモンズ戦で初出場。同年11月8日J1・2ndステージ第12節ガンバ大阪戦で初ゴールを記録。この試合で2得点をあげた。

2004年、背番号が前年引退したFW長谷川祥之が背負っていた「11」に変更された。

2005年、FWアレックス・ミネイロとMF野沢拓也が2トップに定着し、左右の攻撃的MFでの出場機会が徐々に増えていった。

2006年、イタリアから帰国したFW柳沢敦ら最前線は争いが激しく、引き続きMFとしての起用が主となった。

2007年FWとしての出場機会を求め、アルビレックス新潟期限付き移籍をしたが、度重なるケガを含め期待された結果を出す事が出来ず、期限付き移籍期間満了となった。

2008年は、名古屋グランパスに期限付き移籍したが、出場機会に恵まれなかった。
ジェフ千葉

2008年8月に残留争い中のジェフユナイテッド千葉へ期限付き移籍した。千葉では大学時代の盟友・巻誠一郎と再びツートップを組む。巻との相性の良さは健在で、千葉でのデビュー戦となった9月14日東京ヴェルディで先制点の深井がJ1リーグ通算12999ゴールを、追加点の巻がJ1リーグ通算13000ゴールを挙げた。また、名古屋戦や浦和戦でも決勝点を決める活躍を見せ、J1残留に貢献した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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