深井 志道軒(ふかい しどうけん、延宝8年(1680年)? - 明和2年3月7日(1765年4月26日))は、江戸時代中期の講釈師。通称は新蔵。名は栄山、号を一無堂とも名乗る[1][2]。 京都に生まれる。12歳で真言宗の寺院である知足院に入門。若くして大僧正隆光の侍僧となるが、隆光の没落により寺籍を外れ(陰間に関り追放されたとも)、一時は願人坊主にまで身を落とす。その後、霊全
略歴
平賀源内の「風流志道軒伝」(1763年)の主人公として詳しく描かれている[1]。
著書
「元無草」
「迷処邪正按内拾穂抄」[1]
関連書籍
『志道軒研究 (近世庶民文化増刊』近世庶民文化研究所, 1956.10
太平主人 編著『志道軒全書』太平書屋, 2006.12
斎田作楽『狂講深井志道軒 トトントン、とんだ江戸の講釈師』平凡社, 2014.10
脚注^ a b c d kotobank 深井志道軒とは