淡路_(海防艦)
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淡路
淡路島沖で公試中の淡路(1944年1月)
基本情報
建造所日立造船桜島造船所
運用者 大日本帝国海軍
艦種海防艦
級名御蔵型海防艦
建造費5,112,000円(予算成立時の価格)[注 1]
艦歴
計画マル急計画
起工1943年6月1日[1][2]
進水1943年10月30日[1][2]
竣工1944年1月25日
最期1944年6月2日被雷沈没[3]
除籍1944年7月10日
要目(竣工時)
基準排水量940トン
全長78.77m
最大幅9.10m
吃水3.05m
主機艦本式22号10型ディーゼル2基
推進2軸
出力4,200hp
速力19.5ノット
燃料重油 120トン
航続距離16ノットで5,000カイリ
乗員定員149名[注 2]
兵装45口径12cm高角砲 連装1基、単装1基
25mm機銃 連装2基
九四式爆雷投射機2基
爆雷120個
単艦式大掃海具1組
搭載艇短艇3隻
レーダー22号電探1基
ソナー九三式水中聴音機1基
九三式水中探信儀1基
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淡路(あわじ/あはぢ)は[4]、日本海軍の海防艦[5]御蔵型海防艦の3番艦[6]。艦名は兵庫県淡路島にちなむ。1944年(昭和19年)1月25日に竣工し、2月15日附で第一海上護衛隊に編入される[5][7]。ヒ65船団を護衛中の1944年(昭和19年)6月2日[8]台湾沖合で米潜水艦の雷撃によって撃沈された[9]。ヒ65船団部隊に向けて放たれた魚雷から船団を守るための身を挺した行動とされている[10][11][12]
艦歴

マル急計画の海防艦甲型、第310号艦型の15番艦[注 3]、仮称艦名第324号艦として計画。1942年2月14日、海防艦乙型の基本計画(基本計画番号E20)が決定したため、それに従って建造されることとなった。当初は第322号艦型となっていたが、後に予定を繰り上げて第320号艦を第1艦とした第320号艦型に改められた。

1943年(昭和18年)6月1日[1][2]日立造船株式会社桜島造船所で起工。8月31日、建造中の駆逐艦2隻・海防艦3隻・掃海艇1隻・駆潜艇1隻は同時に命名され、日立造船の仮称第324号艦は淡路と命名される[4]。本籍を呉鎮守府と仮定。淡路は御蔵型の3番艦に定められる[6]。10月30日[1][2]、進水。

1944年(昭和19年)1月25日、淡路は竣工した[5]。本籍を呉鎮守府、役務を呉鎮守府警備海防艦にそれぞれ定められる[13]。同日付で呉防備戦隊に編入された[14]。淡路は訓練に従事する[5]

2月上旬、軍令部から連絡をうけた呉鎮守府は、高松宮宣仁親王(海軍大佐、昭和天皇弟宮)が佐伯を訪れた際、「淡路」を見学してもらうよう呉防備戦隊に通達した[15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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