淡路鉄道
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淡路交通鉄道線
基本情報
現況廃止
日本
所在地兵庫県淡路島
起点洲本駅
終点福良駅
駅数17駅(廃止当時)
開業1922年11月26日
全通1925年6月1日
廃止1966年10月1日
所有者淡路交通
運営者淡路交通
車両基地宇山車庫
使用車両車両の節を参照
路線諸元
路線距離23.4 km
軌間1,067 mm狭軌
線路数単線
電化方式直流600 V 架空電車線方式
(廃止当時)
最大勾配25
最小曲線半径201.17 m
閉塞方式単線自動閉塞式(廃止当時)
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停車場・施設・接続路線
(廃止当時)[1]
凡例


本州方面


0.0洲本駅


0.7寺町駅


洲本川橋梁 洲本川95m




1.1宇山駅


2.0下加茂駅


3.4先山駅


4.8淡路二本松駅


5.6納駅


6.0山添駅[† 1]


7.0淡路広田駅


8.46最高地点標高49.49m


10.4淡路長田駅


12.9掃守駅


14.2自凝島駅


15.7一本松駅


17.1市村駅


18.6神代駅


19.8賀集駅


20.4御陵東駅


21.8標高30.39m


23.1福良駅 (I) -1938


23.4福良駅 (II) 1938-


四国方面


淡路鉄道(あわじてつどう)は、かつて兵庫県淡路島において鉄道路線を運営していた鉄道事業者である[2][3]

会社は1914年大正3年)に設立され、1922年(大正11年)に鉄道路線の一部区間営業を開始し、1943年昭和18年)に戦時中の交通統制で全淡自動車と統合されて淡路交通となった。そのため、淡路交通となってからは、淡路交通鉄道線という路線名であった。通称は淡鉄(だんてつ)。運営していた鉄道路線は、1966年(昭和41年)に廃止された[2]

本稿では、主にその淡路鉄道、淡路交通が運営していた鉄道路線について記述する。
概要

淡路島に鉄道を敷設しようという計画は、明治時代から存在し、1911年(明治44年)には賀集新九郎ら地元の資産家ら25名によって洲本 - 福良間の敷設免許が国に申請された。翌年免許され、1914年(大正3年)に淡路鉄道として資本金45万円で設立された。しかし、旱魃などによる資金難や第一次世界大戦時の物価上昇などで工事は遅れ、政府の補助金などの援助もあってようやく当初予定の区間(洲本口 - 市村 16km)を開業させたのが1922年大正11年)11月22日で乗客と貨物を扱う淡路島初の蒸気機関車による鉄道運行が開始され、全通したのは1925年(大正14年)であった。1924年当時の運行状況は洲本口始発午前6時、最終便午後11時6分1日10便、洲本口 - 賀集間を1時間5分で結んでいた。1931年昭和6年)からはガソリンカーによる運行に代わった。1942年(昭和17年)淡路交通と改称する[2]

路線は淡路島を東西に横断する形で敷設された。日本の北海道本州九州四国の主要な四島を除いたにおける通常の粘着走行方式による鉄道路線は、(中州など四島から直通するものを除いて)第二次世界大戦後はこの淡路島のみであった[† 2]

戦後は、1947年(昭和22年)には電化工事が始まり、翌1948年(昭和23年)に電化が完成して南海電鉄から購入した電車の運行を開始した[2]1952年(昭和27年)には、前年の国衙踏切での事故を受け踏切の自動化を、さらに同年には閉塞装置の自動化をそれぞれ成し遂げ、列車本数の倍増、木造車の鋼体化、ドアエンジンの採用、さらには最新の駆動装備の試験的導入などの施策がとられた。

しかし、モータリゼーションの進展で自動車の普及が進んだことなどから、旅客・貨物共に低迷、会社側はサービス改善の傍ら、鉄道部門から希望退職者を募ったり、他部署への異動など幾度のリストラ策を取るが、同時に推進していたバス部門の充実を重きに置くようになると、競合する鉄道部門の累積赤字が増加するなどの悪循環となった。さらにこれに追い討ちをかけるように、1965年9月に集中豪雨により、鉄道線が寸断された。その間代行バスへ移った乗客が、鉄道復旧後も戻らなかったこともあり、これ以上鉄道の存続が困難と判断する。沿線自治体や利用者からの存続要望はあったが[4]、労働組合との交渉も決着したため、1966年(昭和41年)9月30日限りで全廃となった[4]

なお、当路線は改正鉄道敷設法別表の「八七、淡路國岩屋ヨリ洲本ヲ經テ福良ニ至ル鐡道」の一部をなしていた。1953年(昭和28年)には別表に須磨付近 - 岩屋付近と福良 - 鳴門付近の区間(いずれも「八六ノ二」)が追加され、本四ルートの一つ「本四淡路線」の一部となったが、具体化する前に当路線は廃止となった。本四淡路線はその後1973年(昭和48年)の本四架橋の基本計画で新幹線規格のみでの建設とされ、事実上四国新幹線に計画が吸収されている。新幹線の場合は性質上駅間距離が長いために淡路島内に駅が設置されないか、もしくは淡路島内に駅が設置される場合でも淡路鉄道のように駅が多くなく島内に数駅程度となる。

廃線跡は1980年代前半まで線路と橋脚が撤去された程度であったが、現在は大部分が道路となって整備されている。現在の淡路交通洲本営業所(バス)は当時は鉄道の車庫で、淡路交通の本社所在地だった旧洲本バスターミナルは当時の洲本駅であった[4]

廃線跡に沿っている路線バスは

淡路交通市内線(洲本港 - 洲本 - 宇山 - 県病前 - 先山 - 二本松[† 3]

同 長田線(洲本 - 二本松 - 広田 - 長田 - 掃守 - 湊)

同 市線[† 4](市 - 掃守 - 湊)

同 縦貫線(岩屋 - 洲本 - 広田 - 市 - 国衙 - 福良)

同 都志線(洲本高速バスセンター - 洲本 - 下加茂 - 都志)[† 5]

の太字部分にほぼ相当するが、市線、市内線は1990年代に廃止されている(宇山 - 県病前間は鉄道線とはルートが異なっていた)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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