消防団(しょうぼうだん)は、日本において消防組織法に基づいて各市町村に設置される消防機関。消防団は直接には自治体の条例に基づき設置されており、全国統一の運用と自治体独自の運用の両方が存在する。 消防団員は本業を別に持つ一般市民で構成されており[注釈 1]、自治体から装備及び報酬が支給される(支給された報酬が本人に支払われず、分団・部等に一括支給される自治体も存在する)。市町村における非常勤地方公務員にあたる。 報酬・出動手当については、年額報酬のほか、災害活動や地域の祭事などのイベント・訓練等に出動した際の出動手当などが支給される。また、消防組織法に基づき、公務で災害を受けた場合には公務災害補償が(第24条)、退職時には退職報償金が(第25条)、それぞれ受けられることとなっている。 基本的には非常備の消防機関だが、山間部、離島の一部など、常備の消防機関とされる消防本部及び消防署がない地域では常備消防と同様の機能を担うところもある。 2023年(令和5年)4月1日現在、消防本部に勤務する消防吏員が全国で約167,861人(16.7万人)であるのに対し、消防団員数は全国で762,670人(76.2万人)おり、消防団の数は2,177団ある[1]。 江戸時代中期の町奉行である大岡忠相は、木造家屋の過密地域である町人域の防火体制再編のため、1718年(享保3年)には町火消組合を創設して防火負担の軽減を図り、1720年(享保5年)にはさらに町火消組織を「いろは四十八組」(初期は四十七組)の小組に再編成した。また忠相は、瓦葺屋根や土蔵など防火建築の奨励や火除地の設定、火の見制度の確立などを行った。 町火消は主に鳶職を中心に形成された。延焼止めの破壊消火(除去消火法)が主流だったため、消火道具も鳶口や掛矢、鋸と呼ばれるものが主力であった。 この町火消を祖型とし、1870年(明治3年)、東京府に消防局が設置されるとともに町火消が廃止され、消防組が新設された。火消は消防夫として半官半民の身分で採用された。 1875年(明治8年)、警視庁に常設の消防隊ができると、消防組は消防隊とともに、東京府内の消防業務を担った。ただし、三百諸藩の統治の名残を残す地方では、地方独特の消防制度が形成され、消防組はあくまで東京府内の機構に留まった。 1894年(明治27年)、消防組規則が交付され、消防組が全国で設置され、府県知事に管理が任された。 第二次世界大戦において、アメリカ軍は市街地や一般市民に対しての無差別空襲を行った。これに対応するため、警防団令(昭和14年勅令第20号)が発布され、消防組は勅令団体としての警防団に改編された。 戦後、アメリカ軍などの占領軍(GHQ)から一方的に戦争協力機関だと見なされ 警防団は廃止されたが、戦後の防災体制強化のため、1947年(昭和22年)勅令として消防団令が発布され、戦前の警防団は消防団として復活することとなった。 1948年(昭和23年)、消防組織法が公布され勅令団体としての消防団は地方公共団体に附属する消防機関として規定され、今日における自治体消防のもとでの消防団の仕組みが整った。 2013年(平成25年)には東日本大震災を教訓とし、地域の防災活動の担い手を確保し、自発的な防災活動への参加を促進する目的で「消防団を中核とした地域防災力の充実強化に関する法律」が制定された[2]。 現在の消防団は、常勤の地方公務員である消防吏員(消防官)ではなく、非常勤特別職(地方公務員法第3条第3項)の消防団員で構成されている。消防団員は、消防団の推薦を受け市町村長より任命された消防団長が、市町村長の承認を得て任命している(消防組織法第22条)。また、都道府県職員、消防吏員以外の市町村職員や、地方議会の議員なども一定数が消防団員として一般市民とともに現役で活動している[3]。また女性の消防団員は2021年(令和3年)4月1日現在、全国で約2万7千人が活躍している[1]。
概要
出初式の一斉放水
沿革
江戸町火消し-め組
浅草寺の天水桶(防火用水)
消防ポンプ付き 大八車
構成
Size:101 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef