消費者
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「コンシューマー」はこの項目へ転送されています。ゲームの分類については「コンシューマーゲーム」をご覧ください。

この項目では、経済用語について説明しています。生物学における用法については「食物連鎖」をご覧ください。

消費者(しょうひしゃ、英語: consumer、コンシューマー)とは、サービス消費する主体のことである。
概要

具体的には、代価を払って最終的に商品を使用する、もしくはサービスを受ける者をさす。

企業非営利組織などの法人が購入した製品を再販売しているような場合、または法人が生産する製品の部品などの一部に利用するために購入しているような場合は産業消費者もしくは使用者と言う。再販売する目的以外で購入する消費者を世帯消費者もしくは最終消費者という。

法人も財・サービスの消費の主体となりうるのである。ただし、日本消費者契約法においては、情報の質および量、ならびに交渉力の格差にかんがみ、特に事業者以外の個人を一括して「消費者」と定義し、事業者との間で締結される契約にかかる利益の擁護を図っている。

視点を変えると、例えばメーカー企業で勤めているサラリーマンは、職務の上では生産者側であるが、生活を営む上では必要な生活必需品を購入して生活しているので、消費者でもある。農家の人は、農産物に関しては生産者であるが、自分のところで収穫するもの以外の食料や衣服などは購入しているので消費者でもある。よって、より広い意味では国民全員が「消費者」であるとも言える[1]

しかし歴史的に見ると、この消費者は国民経済における最大の集団であるにもかかわらず、組織化されていなかったため、事業者に対して発言する力を持たず、意見も聞いてもらえず無視されるというような弱い立場に長らく立たされていた[1]。企業が製造した商品の欠陥により消費者に被害が発生しても、消費者側から損害賠償を申し立てることは実際上非常に困難であった[1]

消費者の特性としては、従前から

供給者と消費者間の格差:経済力の格差や商品についての知識の格差(情報の非対称性)。

消費者の弱さ:生命・身体・精神の傷つきやすさ、比較的少ない損失でも生活そのものに影響しやすい経済的弱さ。

消費者の負担転嫁能力の欠如:企業と違って損失を他者に転化できない。

の3点に整理されることが多い[2]

イギリスでは18世紀末に産業革命が起こり、19世紀の中頃には消費者問題が起こっている。アメリカ合衆国でも比較的早期から消費者による運動が盛んであった。特に1960?70年代、ラルフ・ネーダー(Ralph Nader)による企業告発などによってコンシューマリズム(Consumerism)が盛り上がった。

日本でも第二次世界大戦後の1945年に主婦らが「おしゃもじ運動」を起こすなどして消費者運動が始まった。1950年代後半以降の高度経済成長期になると様々な消費者問題が起き、消費者基本法(1968年)が制定され、ようやく産業優先の考え方から消費者優先の原則へと移行し、消費者保護の基本的方向が示されることとなった[3]

消費者には様々な権利がある。ただし、その権利はただ事態を傍観していると自然に与えられるといった性質のものではないので、消費者の権利を守るために自発的に闘ったり努力したりすることが消費者の責務だと考えられるようになってきている。
消費者問題・消費者運動

消費者問題の定義は必ずしも一義的ではないが、一般的な中から一例を挙げると「最終消費者として購入した商品・サービスおよびその取引をめぐって生じる消費者の被害または不利益の問題」とされている[4]
米国

1936年、アメリカ合衆国では『コンシューマー・レポート』という情報誌が発行されることになった。これは家電製品や自動車などの機能や安全性をテストして、その情報を消費者に提供するものである。

1960?1970年代には、弁護士で消費者運動のリーダーのラルフ・ネーダーが、自動車安全性に関する企業告発を行い、それをきっかけとしてコンシューマリズムが盛り上がった。

1962年3月15日、ケネディ大統領は消費者保護特別教書において、消費者の4つの権利として以下のものを挙げた[5]

安全を求める権利

選ぶ権利

知らされる権利

意見を聞いてもらう権利

日本での歴史

日本では、古くは打ちこわしに始まり、1918年米騒動、1920年代の借家人運動、1921年結成の神戸購買組合や灘購買組合、1928年に奥むめおらの呼びかけで始まった婦人消責組合協会、愛国婦人会などが消費者運動の嚆矢であるが、消費者運動の本格化は戦後になってからである

1945年昭和20年)に、大阪の主婦らが粗悪品追放を掲げて「おしゃもじ運動」を起こした。1948年(昭和23年)9月3日には、「不良マッチ追放主婦大会」が原宿(東京都)の社会事業会館で開かれた。当時まだ配給制だったマッチは擦っても着火しなかったり、折れたりする不良品が多かった。奥むめおらの呼び掛けで主婦数百人が集まり、「1を9合の水で割り1の値段で買わされるようなもの」と抗議。商工省経済安定本部の官僚も同席下、企業の代表に「粗悪品は作らない」と約束させることに成功。以後、各地で主婦会、婦人会が結成され、主婦連合会(主婦連)発足につながった[6]

昭和30年?40年代(1955年?65年頃)、日本が高度経済成長期に入ると、大量生産・大量消費が行われるようになり、事業者と消費者との間で、情報の非対称性が極端に大きくなり、いわゆる消費者問題が起こるようになってきた。

1955年(昭和30年)には、森永ヒ素ミルク中毒事件が発生。その一年後の1956年(昭和31年)には水俣病が発生し、食品の安全性公害に疑問を持つ消費者が多くなった。1960年(昭和35年)には「うそつき缶詰事件」(にせ牛缶事件)が発生[注 1]

1961年(昭和36年)には、サリドマイド睡眠薬事件が発生。1965年(昭和40年)には新潟県第二水俣病、1968年(昭和43年)にはカネミ油症事件と、次々に消費者が被害者となる事件が発生した[7]

1968年(昭和43年)5月には消費者保護基本法が制定された[8]。これは消費者のための憲法とも言われることがあるものであり、これによって行政・事業者・消費者それぞれの役割が明確化された。それまでの「産業優先」に凝り固まった考え方から消費者優先の原則へと移行し、消費者行政の基礎が体系づけられ、消費者保護に関する基本的方向が示されたのである。

その後、この消費者保護基本法の趣旨にのっとり、全国の地方自治体に消費生活センターが設置されることになった。これは消費者行政の"第一線機関"とも位置づけられるものであり、消費者からの苦情・相談の窓口となったり、苦情処理テストや消費者啓発を行うなど、消費者と直接に接する業務を行うものである。

1969年(昭和44年)には、日本消費者連盟が設立され『消費者レポート』が出版されるようになった。これは告発型のそれである。一方、1970年代には消費者団体の乱立が見られ玉石混交状態を生み出した。中にはユーザーユニオン事件など企業への圧力が恐喝にあたるか否かを裁判で争う団体も現れた[9]

1970年(昭和45年)に、消費生活センターが開設された当時、消費者の最大の関心事は食品の安全性であった。当時、牛乳のBHC汚染、発がん性が問題となったAF-2チクロなどの食品添加物、魚の水銀汚染などの問題が発生していた。1970年?79年までに寄せられた相談の件数でも、食料品の相談が1位を占めている[10]食品添加物健康食品などに関する相談が多かった。

1972年(昭和47年)から1973年(昭和48年)の「第一次石油危機」に際しては、石油製品の値上げ協定を締結したとして、鶴岡市の消費者が山形地方裁判所鶴岡支部に損害賠償請求訴訟を起こした。


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