海辺の生と死
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海辺の生と死
監督
越川道夫
脚本越川道夫
原案島尾ミホ海辺の生と死
島尾敏雄『島の果て』ほか
製作畠中鈴子
出演者満島ひかり
永山絢斗
川瀬陽太
井之脇海
津嘉山正種
音楽宇波拓
撮影槇憲治
編集菊井貴繁
制作会社スローラーナー
製作会社ユマニテ
配給フルモテルモ
スターサンズ[1]
公開 2017年7月29日
上映時間155分
製作国 日本
言語日本語奄美方言
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『海辺の生と死』(うみべのせいとし)は、2017年7月29日に公開された日本の映画太平洋戦争末期の奄美群島加計呂麻島で出会った島尾ミホ島尾敏雄夫妻をモデルにしている[2]。作品名は島尾ミホの同名小説から取られており、島尾敏雄の『島の果て』なども原作とされている[2]。監督は越川道夫満島ひかりは4年ぶりの単独主演となった[3][4]。キャッチコピーには「ついていけないでしょうか たとえこの身がこわれても 取り乱したりいたしません」の文章が用いられた[5][6][7][注釈 1]
あらすじ

太平洋戦争末期[注釈 2]奄美群島・カゲロウ島に[注釈 3]海軍中尉の朔が赴任してくる。国民学校代用教員を務めるトエは、子どもたちに長い登下校を強いる軍隊に反感を抱くが、本を読みたいと父の元に使いを寄越し軍歌よりも島唄が覚えたいのだと言う朔の人柄に惹かれていく。

戦況が悪化していく中、朔とトエは朔の部下である大坪を介して手紙のやりとりを続け、やがて逢瀬を重ねるようになる。朔の部下である隼人はこれを苦々しく思い、朔を詰る。連合国軍空襲は今まで穏やかだったカゲロウ島でも行われるようになり、島の人々も戦争による死を実感するようになる。そんな中トエの父は、彼女へ「親より先に死んではならん」と教える。

広島・長崎に原爆が投下された後の1945年8月、ついに朔たちの部隊へ特攻命令が下る。自宅へ駆け込んできた大坪からこれを知らされたトエは、空襲警報が鳴り響いて島中の住民が避難する中、身を清めて喪服に着替え[注釈 4]、朔との逢い引きに使っていた浜辺へ急ぐ。やって来た朔は特攻の話をはぐらかして帰ってしまい、トエの引き止めにも応じない。彼女は朔の出陣を見届け、短刀で胸を突いてから自害するつもりだったが、結局朔の部隊は出陣せずに終わる。

翌朝、出陣しなかった朔は玉音放送を聞き、戦争の終結を知る。一方のトエは、父が島の人々と手榴弾を用いて防空壕で自害する幻覚を見るが、それが幻に過ぎず全員が生きていることを知り、笑顔で走り出すのだった。
登場人物1944年頃の島尾敏雄
大平トエ(おおひら とえ)
演 - 満島ひかり[2]カゲロウ島で生まれ育ち、現在は国民学校の代用教員を務めている。朔が父の蔵書を借りに来たことがきっかけで出会い、島唄を覚えたがる彼の人柄に惹かれていく。海女だった母は潜水中に心臓発作を起こして亡くなり、父と二人暮らし。モデルは島尾ミホ加計呂麻島出身)で[10][11]、「大平」はミホの旧姓、「トエ」との名前は敏雄の小説『島の果て』に準じたものである[12]
中尉(さく)
演 - 永山絢斗[2]海軍特攻艇の隊長[2]九州帝国大学東洋史を学んだ人物で、戦争より文学や奄美の島唄を好む穏やかな男性。トエら島の人々には「隊長さま」と呼ばれている。終戦直前に出撃命令が下るが、結局出撃しないまま終戦を迎える。モデルは島尾敏雄[10][11]、敏雄自身も実際に九州帝国大学を繰り上げ卒業している[13][14]。また役名はトエと同じく『島の果て』にならったものである[12]
隼人少尉(はやと)
演 - 川瀬陽太[2]朔の部下。酒の席で軍歌(「同期の桜[15])を歌い出すなど、豪傑な軍人肌。自分より若い上官の朔が、読書を大切にしトエと逢い引きしている様を苦々しく思っている一面があり[9][16]、感情を爆発させて詰め寄ったこともある[17]。しかし、根は真面目な人物であり朔を思いやる一面を見せる。
大坪(おおつぼ)
演 - 井之脇海[2]朔の隊に所属する若い軍人。朔に頼まれ大平家に本を借りに行ったり、トエへ手紙を届けたりしている。朔とトエを深く慕っており、終戦間近の特攻命令時には、この一報をトエの元へ走って伝えに来る。
ケコ
演 - 秦瀬生良[18][19]トエが担任する国民学校の女子生徒。震洋隊がやってきたニジヌラ(モデルは加計呂麻島・瀬戸内町呑之浦)に住むが、峠道を使えなくなり通学に遠回りを強いられる[20]。島の歌・踊りを覚えたがる朔にせがまれ、トエの家で彼女と「八月おどりのうた」に合わせた踊りを教えた[21]
ギンタおじ
演 - 蘇喜世司[18][19]トエの父の友人である地元の男性で、島の風習に明るい。戦争末期の島でフクロウが鳴き盛る様子に、墓から成仏し損ねた亡霊たちが甦る雰囲気を感じ、夜ごとこれを追い返す儀式を行っている。
トエの父
演 - 津嘉山正種[2]トエの父であり、地区では慈父(うんじゅ)として慕われる人物[21][22]。『古事記』から近代文学まで豊富な蔵書を持っており、朔は度々これを借りに大坪を寄越している。ウジレハマ(モデルは加計呂麻島・瀬戸内町押角)[20]の庭に色とりどりの花を育て、近隣住民に自由に手折らせている。
制作
制作のはじまり島尾敏雄文学記念碑(瀬戸内町)。碑が設置された島尾敏雄文学碑公園は、敏雄が配属された第18震洋隊の跡地に整備されている[23]

監督の越川道夫は20代の頃から島尾夫妻の作品を愛読しており、また過去の仕事から夫婦の息子である島尾伸三、孫に当たるしまおまほとも親交があった[24][25]。また映画『夏の終り』(2013年)にプロデューサーとして参加していた越川は、主演を務めていた満島ひかりに本作の構想を話し、ミホの役は彼女のものだと伝えていた[24][26]。一方、満島の所属事務所ユマニテの代表である畠中鈴子は、彼女の「20代最後の主演作品」として何を撮影するか越川と検討しており[注釈 5][29][30]、その中で『海辺の生と死』の映像化を提案した[24]。満島の側も、越川から原案を聞かされた際に、「奄美大島で島尾ミホさん…私しかいないかな、と(笑)」と考えていたという[26]。この作品は満島にとって『夏の終り』以来4年ぶりの単独主演作品となった[3][4]

映画の題名にも用いられた『海辺の生と死』は島尾ミホの短編集であり[31]、越川は「その夜」のエピソードのみを映画に使用した[24]ほか、島尾敏雄の『島の果て』、『はまべのうた』、『ロング・ロング・アゴウ』を原作に用い、夫婦の書簡が収められている『幼年期』も参考にしたと回想している[24]。満島と永山の役名である「トエ」「朔中尉」は、敏雄の小説『島の果て』から取られたものである[12][24]。また越川は、撮影の頃連載されていた梯久美子のミホ伝を、俳優を含め本作のスタッフ全員に読ませて人物造型の助けとした[24]。梯の連載は後に『狂うひと?「死の棘」の妻・島尾ミホ?』として新潮社から出版されたが[32]、この本は本作の参考文献となっているほか、梯は脚本監修も務めた[18]

撮影にあたり島尾夫妻の作品を読んだ満島は、ふたりの作品から芝居に通じるものを感じ取ったという[12]。また原作となった『海辺の生と死』に対し、満島は次のような感想を持ったと語っている。「これはマズイ」と思ったことを覚えています。この作品と触れあったら、自分のなかのものが掘り起こされちゃうぞ。役者としてだけじゃなく「満島ひかり」として関わらなければいけない作品だ、これは大変だぞ、と。 ? 満島ひかり、『文學界』2017年6月号より[33]、引用元はパンフレット9-11頁[34]
撮影開始安脚場戦跡公園に残る弾薬庫跡

脚本は奄美にルーツを持つ満島監修のもと2015年5月に完成し、7月にはロケハンも行われた[35][29]。舞台はミホの故郷である加計呂麻島の押角(おしかく)地区に設定されたが、地区は過疎で荒廃が進んでいたため、奄美大島を中心に撮影が行われた[35]。撮影は2015年9月29日から10月17日にかけて行われ[29]、この際『死の棘』映画化(1990年)で使われた震洋の模型が使われている[35]。また押角地区の言葉を再現するため、夫婦の息子である島尾伸三が台本を読み上げる作業に協力した[30][35][15]

作中で使われた奄美島唄は、加計呂麻島出身の朝崎郁恵が歌唱指導に当たった[36][37][38][39]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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