海軍戦術情報システム(英語: Naval Tactical Data System, NTDS)は、アメリカ海軍のC4Iシステムのひとつ。デジタルコンピュータを用いた戦術情報処理装置によって戦闘指揮所(CIC)の自動化を図るとともに、これらを戦術データ・リンクによって連接して目標情報を共有することで、共通戦術状況図(CTP)という概念を創成した[1]。 第二次世界大戦後、レーダーに関する最大の問題は、あまりに多くの目標を探知できてしまうということであり、これは1960年代に入っても未解決のままであった[2]。1948年にイギリス海軍が行ったシミュレーションでは、戦闘情報センター(CIC)に熟練のオペレーターを配して統合的に情報を処理した場合でも、同時に処理できる目標はせいぜい12機程度が限界で、20機の目標に対しては完全に破綻してしまうという結果に終わっていた[2]。またその2年後、ジェット機を用いてアメリカ海軍が行った演習では、攻撃機の.mw-parser-output .frac{white-space:nowrap}.mw-parser-output .frac .num,.mw-parser-output .frac .den{font-size:80%;line-height:0;vertical-align:super}.mw-parser-output .frac .den{vertical-align:sub}.mw-parser-output .sr-only{border:0;clip:rect(0,0,0,0);height:1px;margin:-1px;overflow:hidden;padding:0;position:absolute;width:1px}1⁄4が状況図から漏れてしまった上に、状況図に記入された攻撃機のうち要撃機が指向されたのは3⁄4に過ぎず、高速で襲来するジェット攻撃機に対して従来の手法では対処困難であることが確認された[2]。 アメリカ海軍電子工学研究所 (NEL 1954年には、リンカーン研究所に対して、SAGEシステムのコンセプトを海軍分野に応用するためのランプライト計画が発注され、マクナリー少佐はその海軍側担当官として着任した[4]。コーンフィールド計画を踏まえて、マクナリー少佐は、専用設計の艦を中枢とするのではなく、システムを搭載した艦であればいつでも適宜に指揮艦としての任を引き継げるようにすることを構想した[4]。彼は構想の概要を15ページのレポートにまとめ上げ、「海軍戦術情報システム」という名称を与えた[4]。これをもとに、1955年夏には50ページの運用・技術要求仕様が作成された[5]。検討を経て、1956年4月には海軍作戦部長府による承認を受けるとともに艦船局 (BuShips
開発に至る経緯
在来型CICの限界
ランプライト計画の発足
1955年12月の決定に基づいてコンピュータおよび周辺機器の開発はUNIVACに発注され、1958年3月にはAN/USQ-17(英語版)コンピュータの初号機がNELの試験場に設置された[7]。1959年4月にはNELのASDEC(Applied Systems Developent and Evaluation Center)において技術試験用機材の設置が完了し、陸上試験が開始された[8]。空母「オリスカニー」およびミサイル・フリゲート(DLG)「キング」、「マハン」の3隻が試験艦となり[9]、1961年10月より洋上での試験が開始された[10]。これ以前にはデジタル化システムがアメリカ海軍艦船に搭載されたことはなく、艤装からして新しい挑戦となった[9]。従来の電子機器とは全く異なる装備であるために維持管理の困難さがあり、またソフトウェアの複雑さもあってプログラムのエラーは頻発したが、機材そのものの信頼性は高かった[10]。
1962年4月1日までにOPTEVFORによる運用評価は終了したが、(ほとんどがプログラムに起因するエラーだったとはいっても)システムの装備化に重大な疑問を提起するような問題も指摘されていた[10]。しかしOPTEVFOR司令官であったチャールズ・バーギン少将は、システムが上手く動作した場合の性能の高さを評価し、またプログラムのエラーはハードウェアの欠陥よりも遥かに安価に修正可能であることを指摘した[10]。これらの評価を経て、1963年3月、海軍作戦部長(CNO)はNTDSの艦隊配備を承認した[10]。 NTDSで用いられるアイコン記号味方敵敵味方不明中立 NTDSは、一義的には戦術レベルで目標情報を管理するシステム(tactical picture-keeping system)である[11]。
構成
戦術情報処理装置
洋上目標
航空目標
ミサイル
ヘリコプター
潜水艦
魚雷
地上目標