海老沼匡
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海老沼 匡

基本情報
ラテン文字Masashi EBINUMA
原語表記えびぬま まさし
日本
出生地栃木県小山市
生年月日 (1990-02-15) 1990年2月15日(34歳)
身長170cm
体重66kg
選手情報
階級男子66kg級
所属パーク24
段位五段
引退2021年

獲得メダル

日本
柔道
オリンピック
2012 ロンドン66kg級
2016 リオデジャネイロ66kg級
世界選手権
2011 パリ66kg級
2013 リオデジャネイロ66kg級
2014 チェリャビンスク66kg級
ワールドマスターズ
2012 アルマトイ66kg級
2019 青島73kg級
グランドスラム
2009 東京66kg級
2016 パリ66kg級
2019 大阪73kg級
2015 東京66kg級
2018 大阪73kg級
2019 デュッセルドルフ73kg級
2010 東京66kg級
2011 リオ66kg級
2011 東京66kg級
ユニバーシアード
2009 ベオグラード66kg級
世界ジュニア
2008 バンコク66kg級


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海老沼 匡(えびぬま まさし、1990年2月15日 - )は、日本柔道家栃木県小山市出身。組み手は左組み。得意技は背負投ロンドンオリンピックおよびリオデジャネイロオリンピック柔道男子66kg級銅メダリスト座右の銘は「努力は必ず報われる」[1]
経歴

柔道は5歳の時に兄二人の影響で、後に60kg級世界チャンピオンの藤直寿も所属することになる野木町柔道クラブで始めた[1][2]講道学舎出身。長兄に個人インカレを制覇した海老沼聖、次兄に海老沼毅がいる[1][3]

中学からは上京して講道学舎に所属することになった[1]弦巻中学3年の全国中学校柔道大会66kg級で優勝した[1]世田谷学園高校2年の時にはアジアジュニアで優勝した。なお、この大会で知り合ったことがきっかけで東北高校3年の阿部香菜と交際するようになった。3年の時には全日本ジュニアの73kg級で3位となった[1]

2008年に明治大学へ進学すると66kg級に階級を戻した[1]。1年の時には全日本ジュニアで2位になると、世界ジュニアでは3位となった[1]嘉納杯でも3位に入った。2年の時にはユニバーシアード講道館杯で優勝すると、グランプリ・アブダビではIJFワールド柔道ツアー初優勝を飾った[1]。続くグランドスラム・東京でも優勝を成し遂げた[1]。しかしワールドマスターズ2010では5位に終わった[1]。3年の時は体重別で優勝するも、東京で開催された世界選手権では3回戦でブラジルのレアンドロ・クーニャに肩車で敗れた[1]。4年の時には体重別で2連覇を果たすと、パリで開催された世界選手権では決勝で前年敗れたクーニャに内股で一本勝ちして優勝を飾った[4]

2012年4月には講道学舎の先輩である吉田秀彦が柔道部監督を務めるパーク24に就職した[1]。5月の体重別では決勝でロンドンオリンピック代表争いを演じてきた2010年の世界チャンピオンである筑波大学4年の森下純平支釣込足で破って大会3連覇を飾り、オリンピック代表に選出された[5]

2012年7月のロンドンオリンピックでは、準々決勝で韓国の゙準好と対戦すると内股で投げられた際、手を着いた寝姿勢から腕挫腋固を仕掛けられた[6]。立ち姿勢から掛けて倒れ込んだ反則ではないかとの声も上がるが、審判は動かず[6]。更に、GSに入ってから小内刈で有効ポイントを取りながら、ビデオ判定で取り消しとなる。結果として旗判定にもつれ込み、一旦は相手に3本旗が上がるも、ビデオ判定を担当するジュリーからの指摘で判定がやり直されて、今度は海老沼の方に3本旗が上がったことにより勝利を得る。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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