海老名の大ケヤキ
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海老名の大ケヤキ(2014年11月21日)

海老名の大ケヤキ(えびなのおおケヤキ)は、神奈川県海老名市に生育するケヤキの巨木である[1]。かつて相模湾が深く内陸まで入り込んで海老名の近辺まで入海になっていた時期、漁師が船をつなぐために打ち込んだケヤキの杭が根づいて大木に成長したものと伝えられ、「逆さケヤキ」という異名がある[2]。この木は古来から近在の人々に名木として親しまれていた[1][2]。しかし、再三の落雷などがもとで木の上半分が地上に落下し、樹高が半分ほどになるなどの被害を受けた[2]。その後は樹勢回復の措置と努力が続けられている[1][2]。この木は1954年(昭和29年)3月30日に神奈川県の指定天然記念物となった[1][2]
由来
木の来歴

矢倉沢往還(旧国道246号線)に面する相模国分寺への参道入口に、ケヤキの巨木が1本生育している[2][3][4]。古伝によると樹齢1200年から1400年といわれていたが、実際の樹齢は約600年弱である[1][2][3][5]。大きさについて、環境庁による「日本の巨樹・巨木林調査」(1988年実施)では樹高14メートル、幹周り720センチメートル、海老名市教育委員会(2004年)では樹高12メートル、幹周り9.2メートルと測定している[2][6]

この木の来歴については、次のような話が伝わっている[2][4][5]。かつて海老名の近辺は、相模湾が深く内陸まで入り込んで入海になっていた[2][4][5]。この時期に漁師が船をつなぐために打ち込んだケヤキの杭が根づいて大木に成長したものと伝えられ、「逆さケヤキ」という異名がある[2][4][5]

古老の証言によれば、大正時代末のこの木は樹高20メートルを優に超えていて枝ぶりもよく、遠方からも目立っていて格好の目印としての役割を果たしていた[2][4]。目通りの幹周も7,8人で手をつなぐほどの太さであった[2][4]。古来から近在の人々に名木として親しまれ、かつて大山参りが盛んだったころはこの木の下で休憩する人々がいたり、夏にはフクロウが巣を作っていて、子どもたちはよく巣を探しに登ったりしていた[1][2][4]

この木には1889年(明治22年)5月22日、1898年(明治31年)8月26日、1899年(明治32年)5月18日、さらに大正時代中ごろの少なくとも4回、落雷被害があった[7]。これらの影響によって、第二次世界大戦終戦後のころに木の上半分が地上に落下し、樹高が半分ほどになるなどの被害を受けた[2][4]。その上、幹の下部も内部が朽ちて大穴があき、根元から3つの部分に分かれるという状態に至った[2][4]。その後は樹勢回復の措置と努力が続けられている(後述)[1][3][2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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