かつて福岡県にあった「頴田町」とは異なります。
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海田町旗海田町章
1968年7月制定
国 日本
地方中国地方(山陽地方)
都道府県広島県
郡安芸郡
市町村コード34304-8
法人番号9000020343048
面積13.79km2
総人口30,227人 [編集]
(推計人口、2024年4月1日)
人口密度2,192人/km2
隣接自治体広島市、安芸郡熊野町、坂町
町の木クスノキ
町の花ヒマワリ
海田町役場
町長[編集]竹野内啓佑
所在地〒736-8601
広島県広島県安芸郡海田町南昭和町14番17号[1]
海田町役場
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海田町(かいたちょう)は、広島県の町。安芸郡に属している。 広島県の南西部、広島湾の東側に位置している[2]。広島県の23市町の中で2番目に面積が小さい自治体である[2]。しかし広島市、呉市、東広島市の間にあり交通の結節点になっている[2]。 町内には、陸上自衛隊第13旅団司令部や多くのマツダ関連工場などがある。 この地域に人々が住み始めたのは約1万年前のこととされ、海岸線は現在よりも内陸部にあった[2]。「かいた」の地名が初めて記録に出るのは平安時代の終わりごろで、「開田荘」と呼ばれる皇室領系の荘園でがあり、この荘園は南北朝時代に「海田荘」となった[2]。 中世には商業の中心地は瀬野川の日下橋付近にあり、「二日市」と呼ばれ市場や港の機能をもつ戦略上重要な拠点でもあった[2]。 近世に入ると瀬野川の土砂の堆積や海の干拓、埋め立てで陸地化が進み、商業の中心地は二日市よりも河口に近い「海田市」に移った[2][3]。海田市は広島藩の蔵入り地(直轄地)で西国街道の宿駅の一つとして整備された[2][3]。 江戸時代には海田村と奥海田村があったが、1889年(明治22年)に海田村は町制をしいて海田市町となった[2]。村制のままだった奥海田村も1952年(昭和27年)に町制をしいて東海田町となった[2]。 1956年(昭和31年)に海田町が誕生した当時は、人口が約11,000人であった[2]。しかし、広島市のベッドタウンとして開発が進んだことで人口が急増し、昭和40年代前半には20,000人を突破し、1981年(昭和56年)には30,000人を突破した。 その後は、1996年(平成8年)に30,000人を割り込んだものの、1998年(平成10年)に30,000人を回復。2003年(平成15年)4月に30,000人を割り込んでからは28,000 - 29,000人台で推移していた[4]が、2022年(令和4年)12月に30,000人に再び回復。ただし、住民基本台帳人口は、2018年(平成30年)11月・12月および2019年(令和元年)6月以降は30,000人台を維持している[5]。
概要