海王星の環
[Wikipedia|▼Menu]
海王星の衛星と環の概略。実線は環、破線は衛星の軌道を表す。

海王星(かいおうせいのわ)は、5つの主要な環から構成されている[1]。この環の存在は、1984年にアンドレ・ブライックにより予測され、1989年にボイジャー2号の観測により確認された。最も密度の濃い部分でも、土星の環の密度の薄い部分であるC環やカッシーニの間隙程度であり、海王星の環のほとんどは、薄く宇宙塵に富み、むしろ木星の環に似ている。海王星の環は、海王星の研究に功績のあった天文学者(ヨハン・ゴットフリート・ガレユルバン・ルヴェリエウィリアム・ラッセルフランソワ・アラゴ及びジョン・クーチ・アダムズ[2][3])の名前に因んで名づけられている[1]。また、衛星ガラテアと同期する軌道に、名前のついていない暗い環を持つ。他の3つの衛星であるナイアドタラッサデスピナは、環の間を公転する[3]

海王星の環は、放射線によって生成した有機化合物のような非常に暗い物質で構成されており、天王星の環の組成と似ている[4]。環の中の塵の割合は、20%から70%と高いが[4]光学的深さは、0.1未満と低い[5]。アダムズ環には、リベルテ・アーク、エガリテ・アーク1、エガリテ・アーク2、フラテルニテ・アーク、クラージュ・アークと名付けられた5つのアーク(明るい部分)を含む。アークは、軌道黄経の範囲が狭く、非常に安定しており、1980年の最初の発見時からほとんど変化していない[4]。アークがどのように安定化しているかは、まだ未解明である。しかし、その安定性は、アダムズ環とその内側の羊飼い衛星ガラテアとの間の共鳴に関係している可能性がある[6]
発見と観測ボイジャー2号が撮影した海王星の環。明るい2本はルヴェリエ環とアダムズ環。海王星の環(2022年JWST撮影)

海王星の環についての最初の言及は、1846年、海王星最大の衛星トリトンの発見者でもあるウィリアム・ラッセルに遡る[1]。しかし、彼の主張は確認されず、アーティファクトであると考えられた。

最初の信頼性のある環の(あるいは環がないことを示す)観測は、1968年4月7日、恒星「BD -17°4388」の掩蔽の観測によって行われた。この掩蔽は日本オーストラリアニュージーランドなど各地で観測されたが、当時は誰も環の存在を想定していなかった[7]。そのため、環を観測できたかもしれない部分のデータが公表されるのは、1977年に天王星の環が発見された後となった[1]。オーストラリアで観測したケン・フリーマン(英語版)は、各地のデータも集めて調べ直したが、環は発見できなかった[7]

1980年8月21日の掩蔽を観測したストロムロ山天文台のフィル・ニコルソンとテリー・ジョーンズは、1.5 RN(約37000km)の位置で2回の減光を観測したが、環によるものだとは結論が出なかった[7]。1981年の掩蔽(5月24日の掩蔽より前の別の掩蔽)では、セロ・トロロ天文台のジェイ・エリアスが1回の瞬間的な減光を観測したが、環にしては狭すぎると考えられた[7]

天王星の環が発見された直後、アリゾナ大学のハロルド・ライツェマ(英語版)が率いるヴィラノヴァ大学のチームは、海王星の環の探索を開始した。1981年5月24日のへびつかい座52番星(英語版)の掩蔽で、彼らは一時的な減光を検出した。環の発見を示すものではなかったが、衛星だとしたら、多数の小衛星があるかよほどの偶然ということになる[7]。後にボイジャーがフライバイしたことで、この掩蔽は6つの小衛星の1つラリッサが原因であることが明らかとなった[1]

1982年、エド・ギナン(英語版)が、1968年の掩蔽をマウントジョン天文台で観測したデータを再解析した結果、半径29,800kmと36,125kmの位置にそれぞれ幅1200マイル(約1900km)の2本の環を発見したと発表した[7][8]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:85 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef