海兵遠征旅団(かいへいえんせいりょだん、英語: Marine expeditionary brigade, MEB)は、アメリカ海兵隊の海兵空地任務部隊 (MAGTF) の一種[1][注 1]。海兵遠征軍(MEF)と海兵遠征部隊(MEU)の中間的な規模で、典型的には准将を指揮官として、海兵連隊、航空群および後方支援部隊などで編成されている[4][5][6]。 MEBの指揮官としては通常は准将(場合により少将)が任ぜられる[5][4]。人員は7,000名から15,000名程度とされており[1]、下記のような部隊が構成要素となる。
編制
指揮部隊 (CE
MEB司令部とともに、武装偵察部隊や無線大隊、また海軍建設工兵なども含まれることがある[6]。
地上戦闘部隊 (GCE
MEBは、前方展開している特別目的海兵空地任務部隊(SPMAGTF)や海兵遠征部隊(MEU)の増援部隊として[7]、大規模な危機や不測事態への対応を担う[6]。ただし部隊規模が大きいため、例えばMEUは3隻の揚陸艦で展開可能なのに対し、MEBでは約20隻が必要であり、即応性が低くなっている[5]。これを補うために活用されるのが海上事前集積船隊(MPS)であり[5]、1個船隊で1個MEBが30日間戦闘できる装備と物資を積載している[8]。
例えば砂漠の盾作戦では、海兵隊の戦闘部隊として最初に展開した第7MEBは、人員は航空機、装備・物資はMPSで輸送した[9]。本作戦においては、最終的に、このように空輸とMPSを組み合わせる方式で更に1個MEBが展開したほか、揚陸艦で2個MEBが展開している[7]。続く砂漠の嵐作戦においては、第4・5MEBは両用即応群として展開した第13MEUとともに洋上に展開して水陸両用作戦を担ったのに対し[10]、第1・7MEBは編成を解かれて第1海兵遠征軍に編入され[11]、地上作戦を担った[12]。
このような活躍にもかかわらず、1992年にMEBは全て廃止されたものの、1999年から2000年にかけて、3個のMEFそれぞれに1個ずつのMEBが再編された[13]。かつてのMEBは、少なくとも司令部部隊は常設されていたのに対し、この新生MEBはMEFに設けられていた前方展開部隊(MEF Forward)の名称を変更したもので、指揮官はMEFの副司令官が兼任し、必要に応じてMEFの隷下部隊からの配属を受けて編成されるものである[13]。このようにMEBが急遽再編されたのは、当時アメリカ陸軍参謀総長に就任したばかりのエリック・シンセキ大将が打ち出していたミディアム旅団構想(後にストライカー旅団戦闘団として具体化)に対抗して、海兵隊にもMEUとMEFの中間的な規模の緊急展開部隊が存在することをアピールする狙いがあったともいわれている[13]。
部隊一覧
:第1海兵遠征旅団