「海の森」とは異なります。
海上の森
Kaisho Forest
物見山から望む里山の海上の森と濃尾平野
分類自然公園(里山)
所在地 日本愛知県瀬戸市海上町周辺
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度11分33.1秒 東経137度7分37.7秒 / 北緯35.192528度 東経137.127139度 / 35.192528; 137.127139
海上の森(かいしょのもり)とは、愛知県瀬戸市の海上町を中心に屋戸町、吉野町、広久手町にかけての地にある約 600 ha の里山と森林である。
この項目では、海上の森とその周辺で展開された愛知万博(2005年日本国際博覧会)の瀬戸会場の跡地で展開されている施設「あいち海上の森センター」と「瀬戸万博記念公園」についても説明する。 庄内川水系矢田川の支流海上川などの上流域の山域であり、200以上もの小さな湿地があることが特徴の森である[1]。大半は県有林であり「愛知万博記念の森」として愛知県が市民の協力を得ながら管理している。 2005年日本国際博覧会(愛知万博 / 愛・地球博)の会場候補地として注目を浴び、日本や世界の自然保護運動やその後の国際博覧会のあり方に影響を与えた場所である。オオタカの営巣が確認されたことを契機に反対運動がひろがり会場計画が見直され、森のほぼ全体が残されることになった[1]。今後は、愛知万博の理念や成果を継承すべく、将来にわたって保全していくこととなっている。 周辺には古墳群もあり、古くから武田信玄の墓があるなどの伝説がある土地である。近代以降は、瀬戸焼の陶土や窯の燃料の採取のために活用された丘陵地・湿地であり、明治期には樹木がほとんどなくなってしまった。その後、その丘陵地に植林などを行い、戦後に森林を回復した。しかし、1988年に愛知万博構想が発表され、1990年に万博の候補地となり、万博前に、地域高規格道路(名古屋瀬戸道路)と、それに並行、接続する幹線道路を建設し、閉幕後に住宅地、学術研究機関を設置する構想も発表された。 それに対して、環境問題に関心のある市民は海上の森自然観察会、海上の森探鳥会などの自然とのふれあい活動を活発に開始した。そのなかで、東海地方にしか植生しないシデコブシをはじめとした貴重な動植物の減少や、環境省と愛知県で準絶滅危惧の指定を受けている[2]オオタカなどへの影響を心配して、万博は時代に逆行するものとして、大規模な反対運動が行われた。 1996年の万博開催立候補から2000年の開催最終登録にいたる数年間は、博覧会国際事務局 (BIE) や世界の主要な自然保護団体を巻き込んだ反対運動に発展。BIEも「自然を破壊する開発型の万博の開催は認めない」とした。2000年5月には自然保護団体を含んで愛知万博検討会議が開かれ、その結果、主会場を既存の公園である愛知青少年公園(現在の愛・地球博記念公園)へ変更し、海上の森の会場は小規模な「瀬戸会場」として自然自体を展示物とすることと、自然保護団体や市民団体が主催で実施する「市民参加企画」をコンセプトとすることに変更することになった。
概要
歴史物見山から望むスギなどの植林、コナラなどの落葉広葉樹、アカマツ林が混在する海上の森