海の呼声
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毒流
Shoes
監督
ロイス・ウェバー
脚本ロイス・ウェバー
原案ステラ・ウィン・ヘロン
原作ジェーン・アダムズ
製作フィリップス・スモーリー
ロイス・ウェバー
出演者メアリー・マクラレン
ハリー・グリフィス
マッティ・ウィッティング
撮影キング・D・グレイ
スティーヴン・S・ノートン
アレン・G・シーグラー
配給 ユニバーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー
播磨ユニヴァーサル商会
公開 1916年6月26日
1916年10月18日
上映時間約50分
製作国 アメリカ合衆国
言語英語
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Shoes

『毒流』(どくりゅう、英語: Shoes)は、1916年(大正5年)製作・公開、ブルーバード映画製作、ユニバーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー配給によるアメリカ合衆国サイレント映画である[1]。1922年(大正11年)に松竹蒲田撮影所が本作を原作に2作の劇映画を製作・公開しており[2][3]、同2作についても本項で扱う。
略歴・概要

ソーシャルワークの先駆者として知られるジェーン・アダムズの小説をステラ・ウィン・ヘロンが翻案、ロイス・ウェバーが脚色して監督した作品である[1]。1916年(大正5年)にユニバーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)の子会社として設立されたブルーバード映画が製作し、ユニバーサル社が配給して、同年6月26日にアメリカ合衆国で公開された[1]

日本では、播磨勝太郎が同年に設立した播磨ユニヴァーサル商会が独占配給し、同年10月18日に東京・浅草公園六区帝国館を皮切りに全国で公開された[4]。日本において評価の高かったブルーバード映画のうちでも、熱狂的に受け入れられた作品のひとつであり、当時の映画雑誌『活動之世界』には、活動写真が藝術だと云ひ得るなら、この写真の如きにそれであらう。従来の映画と比較して見ても、江戸時代の戯作者の作物から、急に自然派文学に接した心地がする ? 『活動之世界』の『毒流』評、『日本映画発達史 I 活動写真時代』、p.261.[5]

と評された[5]。当時の日本映画は歌舞伎新派の影響下にあり、また輸入映画の主流であったイタリア等のヨーロッパ映画も演劇的であり、平凡な舞台設定・人物設定をリアルに描く『毒流』は、日本の観客には、新しく風変わりなものに映ったという[5]

本作が日本で公開された時点では、松竹キネマ(現在の松竹)はまだ設立されていなかったが、設立後2年が経過した1922年(大正11年)、本作を原作に伊藤大輔が脚色、野村芳亭が監督した映画『海の呼声』を松竹蒲田撮影所が製作、松竹キネマが配給し、同年9月10日、東京・有楽町有楽座等で公開された[2]。同年、再び『毒流』を原作に、おなじく伊藤が脚色、牛原虚彦が監督した映画『傷める小鳥』をおなじく松竹蒲田が製作、松竹キネマが配給し、同年11月11日、浅草公園六区の大勝館等で公開されている[3]

現在、ロイス・ウェバーの監督したオリジナルの『毒流』は、アンソニー・スライドによれば断片のみが現存し、同監督の現存する17作のうちの1作である[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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