浮丘伯
[Wikipedia|▼Menu]

浮丘 伯(ふきゅう はく、生没年未詳)は、戦国時代から前漢初期にかけての儒学者
経歴

の人物。荀子の弟子となり儒学を学んだ。劉交申培公・白生・穆生らを教えたが、始皇帝焚書を行うに至り、弟子らはいったん浮丘伯のもとから辞去した。

漢帝国が成立すると、高祖劉邦は魯国を訪れて儒学者たちを召見した。浮丘伯と申培公はこの時、高祖に拝謁する栄誉に浴した。

呂后の時、浮丘伯は首都長安へ移り住んだ。かつて浮丘伯の弟子であった劉交は、高祖の弟として楚国とされていたが、次男の劉郢客を長安へ遣して浮丘伯に弟子入りさせた。劉交の死後、劉郢客が楚国の王となり、申培公を王子の教育係に任命した。
参考

史記』儒林列伝

漢書』楚元王伝

漢書』儒林伝

漢書』芸文志


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:1866 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef