浪曲(ろうきょく)は、日本で明治時代初期から始まった演芸で、「浪花節」(なにわぶし)とも言う[1]。三味線を伴奏にして独特の節と語りで物語を進める語り芸(話芸)。一つ30分ほどである。
落語、講談とともに「日本三大話芸」の一つとされ[1][注釈 1]、最盛期の昭和初期には日本全国に約3000人の浪曲師がいた[1]。その後、急速に衰えた[2]が、復興や再評価の動きもある(後述)。 浪曲の起源は800年前とも言われ、古くから伝わる浄瑠璃や説経節、祭文語りなどが基礎になって、大道芸として始まった[3]。浪曲は主に七五調で演じられ「泣き」と「笑い」の感情を揺さぶる[4]。時代に翻弄されつつ、いつも人々の心に寄り添ってきた芸能[5]である。 声を出して演じる者を「浪曲師」(ろうきょくし)[6]と呼び、三味線伴奏者を「曲師」と呼ぶ。 一つの物語を節(ふし)と啖呵(たんか)で演じる。節は歌う部分で物語の状況や登場人物の心情を歌詞にしており、啖呵は登場人物を演じて台詞(セリフ)を話す。重視する順を「一声、二節、三啖呵(いちこえ、にふし、さんたんか)」と言う。前の二つを「声節(こえふし)」と呼び、特に重要視する[7]。 落語は「噺す」、講談は「読む」、浪曲は「語る」芸能[8]と言われるように、聴かせ所が異なり、三味線入りである浪曲は、都市中心に盛んになった講談・落語と比べ、鉄道網の発達と軌を一にするように[注釈 2]、当時の最新メディアである、レコードやラジオを媒介として、都市部から地方部に至るまで全国的人気を保った[9]。歌謡浪曲から演歌へ、人気は連綿と続く。そのため演歌と共に、「田舎臭い」「通俗的」と軽蔑的に評されることもあった。反面、伝統的叙情や鎮魂の力が備わっているとも言える[10]。 日本国内では大衆に愛された浪曲であるが、知識人[11]による教養主義[注釈 3]から嫌われた[12]。特に文学者に浪花節嫌いを公言する者は多く、蛇蝎の如く嫌われる。尾崎紅葉[13]、泉鏡花[14]、夏目漱石、芥川龍之介[15]、永井荷風[注釈 4][16]、三好達治[17][18]、三島由紀夫[17]がいた。加えて演芸と関わりの深い久保田万太郎[19][20]の浪花節嫌いは有名であった。 一方で浪花節に好意的に言及する者もいる。二代目玉川勝太郎の『天保水滸伝』に触発されて『伝法水滸伝』を書いた山口瞳[21]、二代目広沢虎造の『次郎長伝』に愛着を表した村松友視[22]のほか、2017年に処女作『おらおらでひとりいぐも』で文藝賞(第54回)を受賞し、『久米宏 ラジオなんですけど』にゲスト出演した作家若竹千佐子は番組内で、虎造の影響を明言した[23](後に第158回芥川賞受賞)。
概説