浪曲
[Wikipedia|▼Menu]

浪曲(ろうきょく)は、日本明治時代初期から始まった演芸で、「浪花節」(なにわぶし)とも言う[1]三味線を伴奏にして独特の節と語りで物語を進める語り芸(話芸)。一つ30分ほどである。

落語講談とともに「日本三大話芸」の一つとされ[1][注釈 1]、最盛期の昭和初期には日本全国に約3000人の浪曲師がいた[1]。その後、急速に衰えた[2]が、復興や再評価の動きもある(後述)。
概説

浪曲の起源は800年前とも言われ、古くから伝わる浄瑠璃説経節祭文語りなどが基礎になって、大道芸として始まった[3]。浪曲は主に七五調で演じられ「泣き」と「笑い」の感情を揺さぶる[4]。時代に翻弄されつつ、いつも人々の心に寄り添ってきた芸能[5]である。

声を出して演じる者を「浪曲師」(ろうきょくし)[6]と呼び、三味線伴奏者を「曲師」と呼ぶ。

一つの物語を節(ふし)と啖呵(たんか)で演じる。節は歌う部分で物語の状況や登場人物の心情を歌詞にしており、啖呵は登場人物を演じて台詞(セリフ)を話す。重視する順を「一声、二節、三啖呵(いちこえ、にふし、さんたんか)」と言う。前の二つを「声節(こえふし)」と呼び、特に重要視する[7]

落語は「噺す」、講談は「読む」、浪曲は「語る」芸能[8]と言われるように、聴かせ所が異なり、三味線入りである浪曲は、都市中心に盛んになった講談・落語と比べ、鉄道網の発達と軌を一にするように[注釈 2]、当時の最新メディアである、レコードラジオを媒介として、都市部から地方部に至るまで全国的人気を保った[9]歌謡浪曲から演歌へ、人気は連綿と続く。そのため演歌と共に、「田舎臭い」「通俗的」と軽蔑的に評されることもあった。反面、伝統的叙情鎮魂の力が備わっているとも言える[10]

日本国内では大衆に愛された浪曲であるが、知識人[11]による教養主義[注釈 3]から嫌われた[12]。特に文学者に浪花節嫌いを公言する者は多く、蛇蝎の如く嫌われる。尾崎紅葉[13]泉鏡花[14]夏目漱石芥川龍之介[15]永井荷風[注釈 4][16]三好達治[17][18]三島由紀夫[17]がいた。加えて演芸と関わりの深い久保田万太郎[19][20]の浪花節嫌いは有名であった。

一方で浪花節に好意的に言及する者もいる。二代目玉川勝太郎の『天保水滸伝』に触発されて『伝法水滸伝』を書いた山口瞳[21]二代目広沢虎造の『次郎長伝』に愛着を表した村松友視[22]のほか、2017年に処女作『おらおらでひとりいぐも』で文藝賞(第54回)を受賞し、『久米宏 ラジオなんですけど』にゲスト出演した作家若竹千佐子は番組内で、虎造の影響を明言した[23](後に第158回芥川賞受賞)。テレビ界では著書で幼少時に浪花節に親しんだことを明かしている演出家鴨下信一[24]、演芸界では『ラジオビバリー昼ズ』でネタにするなど、玉川福太郎一門と国本武春を中心に浪曲を話題にし続けた放送作家高田文夫[25]がいる。また舞踏家の田中泯は福太郎が読む『森の石松』に合わせて踊るというパフォーマンスを披露したこともある[26]

物語の内容から、転じて「浪花節にでも出てきそうな」という意味で、言動や考え方が義理人情を重んじ[27]、通俗的で情緒的であることを俗に「浪花節的な」あるいは単に「浪花節」と比喩する[28][例 1][例 2][例 3]

思わず真似をして唸りたくなる節回しという間口の広さと、その実うまくなるには鍛錬を要する奥の深さを同時に持つ。近接した芸能を(郷土芸能も含め)どん欲に取り込み、浪曲師が節の運びなどに各人各様の創意工夫をすることで発展した。節回しの自由さ、融通無碍ぶりが大きな特徴である。竹本義太夫が決定打であった義太夫節鶴賀新内新内節のような、様式を決定付ける存在は未だ出ていない[29][注釈 5]

浪曲(浪花節)の実演を表す動詞には様々あり、「うなる」「語る」「読む」「うたう」「口演する」などがある。使用する局面によって多少使い分けているが基本的に同じ意味である[注釈 6]

台本は存在するが譜面はなく[30]、浪曲師と曲師の呼吸が合うかどうかが重要であり、春野恵子の説明によれば「浪曲師と曲師が舞台で繰り広げるやりとりは「ジャズセッションのよう」とも言われ、そのライブ感が浪曲の魅力」である [31][注釈 7]

三味線の伴奏者(相方)のうち、主たる相手は「相三味線(あいじゃみせん)」と呼ばれる[32][注釈 8][注釈 9]。浪曲の三味線は太棹を用い[33]、調弦は三下り(さんさがり)にする。小ぶりの撥で弾く[34]。上方では曲師とギター奏者がつくこともある[35][注釈 10]

男女共に古くから活躍する芸能である。およそ伝統的とされる日本の芸能の中で、男女が全く対等に活躍できるものは数少ない[36][37]

テレビ時代に浪曲そのものは動きが地味で対応できなかったが、他ジャンルをブレンドして[38]生き延びた。

現在、浪曲の定席(常打ちの寄席)は、東京都台東区浅草の「木馬亭」と大阪府大阪市天王寺区の「一心寺門前浪曲寄席」、大阪府大阪市港区の「みなと浪曲寄席」で聴ける。他に東京では永谷の演芸場などで浪曲公演が毎月ある。

中でも、東京・渋谷で毎月開催されている「渋谷らくご」(シブラク)に浪曲師が1枚必ず加えられ、若い世代に浪曲が伝わってきており[39]、近年、長い低迷期から抜け出した[40][41][42]

浪花節の複雑で、結局、つかみ所のない魅力は「」(ぬえ)に度々たとえられる[43][44]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:359 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef