浦野匡彦
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浦野 匡彦(うらの まさひこ、1910年明治43年)9月16日 - 1986年昭和61年)12月2日)は、元二松學舍大学学長・日本遺族会副会長。
生涯

群馬県吾妻郡の生まれ。学問を志し、故郷を出奔。上京し学問に打ち込んだ。群馬県立前橋高等学校卒業後、1932年(昭和7年)二松学舎専門学校(現二松学舎大学)第一部本科卒。その後外務省給費留学生として中国に留学しそのまま満州国外交部職員となる[1]。しかし太平洋戦争に敗北したことから命からがら日本へ引き揚げる。帰国後二松学舎大学で教鞭を執り、1955年(昭和30年)二松学舎理事、1962年(昭和37年)理事長、1975年(昭和50年)学長を歴任。1986年(昭和61年)二松学舎舎長就任。その傍ら、日本の民族精神復興に尽力した。日本遺族会副会長、英霊にこたえる会副会長を務め、首相の靖国神社公式参拝運動のリーダーの一人でもあった。1953年(昭和28年)の第3回参議院議員通常選挙において群馬県から緑風会公認で立候補したが落選した[2]

1976年(昭和51年)藍綬褒章受章。1983年(昭和58年)勲二等瑞宝章受章。
人物

群馬県の郷土かるた「
上毛かるた」の生みの親。

財団法人群馬文化協会初代理事長・学校法人二松学舎理事長などの要職を歴任した。

財団法人群馬文化協会理事長の西片恭子は長女[3]

出典^ 『上毛かるたのこころ 浦野匡彦の半生』略年譜より
^ 『朝日選挙大観』579頁。
^ 『上毛かるたのこころ 浦野匡彦の半生』p.215

参考文献

朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』
朝日新聞社、1997年

西片恭子著『上毛かるたのこころ 浦野匡彦の半生』群馬文化協会 2002年

人物リファレンス事典(日外アソシエーツ)










二松學舍大学学長(1975年 - 1986年)

二松學舍専門学校長

山田準 1928-1943

那智佐伝 1943-1947

塩田良平 1947-1951

二松學舍大学長

塩田良平 1949-1950

東京文科大学長

塩田良平 1950-1951

那智佐伝 1951-1953

二松學舍大学長

那智佐伝 1953-1962

加藤常賢 1962-1975

浦野匡彦 1975-1986

佐古純一郎 1986-1989

伊藤漱平 1989-1993

雨海博洋 1993-1997

清水義昭 1997-2001

石川忠久 2001-2005

今西幹一 2005-2009

渡辺和則 2009-2015

菅原淳子 2015-


 二松學舍学長


三島復
1919-1924

児島献吉郎 1924-1926

山田準 1927-1943

那智佐伝 1943-1947?




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