浦臼駅
駅舎(2020年4月)
うらうす
Urausu
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浦臼駅(うらうすえき)は、北海道樺戸郡浦臼町字浦臼内にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)札沼線(学園都市線)の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲130216[2]。
歴史1976年の浦臼駅と周囲約750m範囲。左下が札幌方面。貨物取扱廃止前で貨物ホーム手前には貨車が留置されている。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
1934年(昭和9年)10月10日:国有鉄道札沼北線 中徳富駅(初代、現在の新十津川駅) - 当駅間の延伸開業に伴い、同線の駅として開業[3][1]。一般駅[4]。
1935年(昭和10年)10月3日:国有鉄道の石狩当別駅(現:当別駅) - 当駅間が延伸開業。従来の札沼南線(桑園駅 - 石狩当別駅間)と札沼北線(当駅 - 石狩沼田駅間)が編入・統合され、札沼線が全通[報道 2]。
1943年(昭和18年)10月1日:第二次世界大戦の激化に伴い、札沼線の石狩月形駅 - 石狩追分駅間が不要不急線に指定され、営業休止[5]。それに伴い、当駅も営業休止。
1946年(昭和21年)12月10日:札沼線の石狩当別駅 - 当駅間が営業再開[6]。それに伴い、当駅も営業再開。
1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に継承。
1953年(昭和28年)11月3日:札沼線の当駅 - 雨龍駅間が営業再開[新聞 1]。
1979年(昭和54年)2月1日:貨物扱い廃止[4]。
1984年(昭和59年)2月1日:荷物扱い廃止[4]。
1984年(昭和59年)3月31日:駅員無配置駅となり[新聞 2]、簡易委託化。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承[1]。
1991年(平成3年)3月16日:札沼線に「学園都市線」の愛称を設定[報道 2][報道 3][7]。
1993年(平成5年)頃:簡易委託終了。完全な無人駅となる。
1996年(平成8年)3月16日:札沼線(学園都市線)のうち、当駅を含む石狩当別駅 - 新十津川駅間でワンマン運転開始[7]。
1997年(平成9年)12月1日:浦臼町営「ふれあいステーション」を併設する新駅舎を供用開始[8][9]。
2016年(平成28年)
3月26日:当駅 - 新十津川駅間の運行が1日1往復のみとなる[報道 4][10]。
2020年(令和2年)
4月17日:新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関する緊急事態宣言により、4月18日から5月6日まで全列車運休措置。実質的な最終営業日となる[報道 5]。
5月7日:北海道医療大学駅 - 新十津川駅間の廃止と共に廃駅となる[報道 1][新聞 3][新聞 4][新聞 5]。
駅名の由来「浦臼町#町名の由来」も参照
所在地名(浦臼・浦臼内)より。 石狩当別駅が管理していた無人駅であった。駅舎が改築された際に「ふれあいステーション」と名付けられた。改築時から歯科医院が入居している[9]。 1982年11月時点では当駅での夜間滞泊が行われていた。[11]1976年時点では、相対式ホーム2面2線と駅裏側に新十津川方から分岐する貨物積卸あるいは留置用の側線、駅舎横の札幌側に櫛型貨物ホームと引込み線を有していた。それ以前には、駅裏側線の北側が木工所に接し、またスイッチバック状に南側の土場横へ伸びていた。この駅裏側線の南端は本線とは合流せず、車庫に向かう2本の車庫線となっており、その外側には転車台が存在した。これらは貨物取扱廃止後に撤去され、現在では当時の面影が全く残っていない。 2020年5月7日の北海道医療大学駅 - 新十津川駅間の廃止にあたって、同日未明にホームに設置されていた駅名標が撤去された[新聞 6]。
駅構造
ホーム(2017年8月)
ホームに停車中のキハ40 401
(2016年5月)
駅名標(2017年8月)
利用状況
2012 - 2016年(平成24 - 28年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は14.0人[報道 6]。
2013 - 2017年(平成25 - 29年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は13.2人[報道 7]。
2014 - 2018年(平成26 - 30年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は11.0人[報道 8]。
2015 - 2019年(平成27 - 令和元年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は9.0人[報道 9]。