浦島太郎
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この項目では、おとぎばなしについて説明しています。北山清太郎による映画については「浦島太郎 (1918年の映画)」をご覧ください。
月岡芳年画浦島太郎

浦島太郎(うらしまたろう)は、日本伽話(おとぎばなし)、及びその伽話内の主人公名。

一般に知られるあらすじでは、を助けた報恩として浦島太郎が海中に連れて行かれ、龍宮(竜宮)で乙姫らの饗応を受ける。帰郷しようとした浦島太郎は、「開けてはならない」と念を押されつつ玉手箱を渡される。帰り着いた故郷では、龍宮で過ごしたと感じたより遥かに長い年月が経っており、失意の余り玉手箱を開けてしまった浦島太郎は、年老いた鶴、または人間の年寄りに化するというものである。

浦島子伝説が原話とされ、古くは上代の文献(『日本書紀』『万葉集』『丹後国風土記逸文』)に記述が残る。それらは、名称や設定が異なり、報恩の要素も欠け、行き先は「龍宮」ではなく「蓬?とこよのくに)」なので、異郷淹留譚(仙境淹留譚)に分類される。

日本各地には、浦島太郎が居たと伝える伝承や縁起譚があり、浦島の名の出ない類話も存在する。
概要

現代において、日本で広く普及する浦島太郎の御伽話は、明治から昭和にかけて読まれた国定教科書版に近い内容である。これは童話作家の巖谷小波が1896年に発表した『日本昔噺』版に、生徒向けに手を加えて短縮したもので、玉手箱を開けて老人化してしまうことで約束を破ると悪いことが起こると伝えようとしたためである[1]

上代の原話では「浦島子」(浦島子伝説)で、万葉日本書紀丹後国風土記に記述がある。異界は龍宮でなく蓬山(蓬?山)・常世(とこよ)の併称で呼ばれる。

現代版にみられる「竜宮」「乙姫」「玉手箱」などの呼称や、浦島が亀を買いとって助ける設定は、中世の御伽草子に由来するが、版本として知名度が高い御伽文庫版のそれではなく、異本(I類系)に見られる。浦島子伝説では、「蓬?とこよのくに)」の名のない女性が「玉匣(たまくしげ)」を渡す。しかし海上の竜宮図を使いながら、文章では海底であるとする江戸時代の戯作(1782年)や[2]、また赤本絵本の模写絵だが、文章では海底とする英訳(1886年)もある[5]

現代版にいたると亀と姫は同一でなくなるが、浦島子伝説・御伽草子では、浦島が釣って逃がした亀は乙姫(蓬莱の女性)の化身である。御伽文庫では、最後に浦島も死ぬ代わりに鶴に変身する。
普及版浦島太郎が浜辺で亀を「おもちゃにしている」子供らに遭遇―第三期国定教科書、『尋常小学国語読本』(1928)

現在一般的に普及しているストーリーは、教科書を通じて広く国民に知れわたったもので[6]、概ね以下のような内容である。浦島太郎という人(あるいは漁師[注 1])は、浜で子供達がをいじめているところに遭遇。その亀を買いとって保護し、海に放してやる(太郎は子供達をわざとつついて「お前たちは亀に同じことをしたんだぞ?」と叱る場合もある。)。2、3日後、亀が現れ、礼として太郎を背に乗せ、海中の竜宮に連れて行く。竜宮では乙姫が太郎を歓待[注 2]。しばらくして太郎が帰る意思を伝えると、乙姫は「決して蓋を開けてはならない」としつつ玉手箱を渡す。太郎が亀に乗って元の浜に帰ると、地上では700年もの年月が経過していて、太郎が知っている人は誰一人いない。太郎が忠告を忘れて玉手箱を開けると、中から白い煙が発生し、太郎は実年齢の白髪で皺だらけの老人の姿に変化する。(尋常小学国語読本、巻3)[9][10][注 3]
経緯

上のあらすじは、特に広く親しまれた教科書だと評価される第3期国定教科書[11]第3巻「うらしま太郎」から取った。この教科書は別名『尋常小学国語読本』、通称『ハナハト読本』という。大正?昭和の1918-1932年に使用された[11]

明治時代には、その元となった第2期国定教科書[注 4]所収「ウラシマノハナシ」が登場している。このいわゆる「国民童話」版は、明治政府が教科書向きに書き換えたものであるが、童話作家の巌谷小波著『日本昔噺』所収の「浦島太郎」に若干の手を加えて短縮したものだと目されている[12][注 5]

竜宮城に行ってからの浦島太郎の行状は、子供に伝えるにふさわしくない「結婚生活」[注 6]の内容が含まれているので、童話においてはこの部分は改変(もしくは省略)された[13]

いじめていた子供達の態度も、映像作品や出版社によって異なる(太郎に叱られて蜘蛛の子を散らすように逃げ去る、亀に進んで謝罪したうえで優しく海に放すなど)。
唱歌

文部省唱歌「浦島太郎」には、次の二つがある。

1900年の『幼年唱歌』に掲載された「うらしまたろう」(作詞・石原和三郎、作曲・田村虎蔵[注 7]

1911年の『尋常小学唱歌』(第二学年第10曲)に掲載された「浦島太郎」(作詞・乙骨三郎、作曲者不明[注 8]


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