うらぐち なおき浦口 直樹
プロフィール
出身地 日本 長崎県長崎市
生年月日 (1960-06-19) 1960年6月19日(63歳)
最終学歴九州大学法学部
職歴TBSテレビ編成局アナウンス部担当部長
編成局アナウンス部担当局次長(TBSテレビ)
編成業務局制作部(TBSラジオ)
活動期間1983年 - 2017年(アナウンサーとして)
ジャンルバラエティ
公式サイト ⇒プロフィール
出演番組・活動
出演経歴『ザ・ベストテン』(追っかけマン)
『ラジオ寄席』
『赤坂お笑いD・O・J・O』(道場主)
『遊学舎でいこう!』
など
その他ラジオディレクター・プロデューサー、若手お笑い芸人ライヴイベントプロデュース
備考
1990年10月のテレビユー富山(現:チューリップテレビ)開局前後期間、TBSから一時出向。アナウンサー: テンプレート - カテゴリ
浦口 直樹(うらぐち なおき、1960年6月19日 - )は、TBSテレビの元社員で、同局元アナウンサー。このほか、ラジオディレクター・プロデューサーも務めていた。
長崎県長崎市出身。アナウンサーを経て、TBSテレビ営業局CM部担当局次長[1]、TBSアナウンススクール校長も歴任。公称身長174センチ。長崎県立長崎北高等学校・九州大学法学部を卒業。 小学生時代は地元・長崎のNHK児童劇団に入団して活動していた。その当時のスタジオの雰囲気やマイクの感触が忘れられず、放送の世界を目指すようになった[2]。 1983年4月、TBSにアナウンサー20期生として入社[注釈 1](同期は有村かおり、須賀雅子(旧姓:野口)、牧嶋博子)[3][4]。 2006年10月7日から2010年10月2日まで、TBSラジオが主催・運営するコミュニティサークル「遊学舎」の情報ラジオ番組『遊学舎でいこう!』のパーソナリティを務め、降板後は遊学舎名誉会員となる。 2016年から2017年は、TBSアナウンススクールの校長を務めた[5]。後任は清水大輔。 2017年7月1日付で、TBSテレビ営業局CM部担当局次長に異動した。2020年6月30日付で、TBSテレビを定年退職した。 なお、チューリップテレビ(TUT・富山県、当時社名は「テレビユー富山」)開局に際し、1990年10月の開局前後期間、TBSから一時出向し、アナウンサー研修やOA業務を担当していた。 お笑いに造詣が深く、自ら企画して若手芸人のライヴイベントおよびラジオ番組をプロデュースするほか、様々なお笑い芸人とコネクションを持っている。2017年の異動により番組制作から退いたあとも、お笑いライブを立ち上げるなど活動を続けている[6]。2020年3月29日には、かつて担当していたTBSラジオ『らんまん ラジオ寄席』にゲスト出演し、同日(当初は同月8日公開収録分を放送予定だったが、収録自体が中止になった[7])に特集が組まれたケーシー高峰の思い出を語っている。 TBS退職後もお笑いライブのプロデュースは継続しており、最近の活動や過去のお笑いライブ観覧記をnoteで公開している。
来歴・人物
過去の出演番組
テレビ
ザ・ベストテン(追っかけマン)[8][9]
アッコにおまかせ!
3時にあいましょう
EXPOスクランブル(1985年)[9]
爆笑スペシャル[9]
THE WAVE[8][9]
JNNニュースコール[9]
おはようお天気ワイド[9]
CBSドキュメント(ナレーション)
情報!もぎたてサラダ[8][9]
バリキン7 賢者の戦略(ナレーション)
ラジオ
今朝の現場(1984年)[9]
花の新人歌謡戦(1985年)[9]
夜はこれから(1986年)[9]
メロディー・ランド(1986年)[9]
お待たせトドメのベストテン(1987年)[9]
ジャンピングスニーカー(1987年)[9]
ぼくらのレコ大ベストヒット(1987年)[9]
ザ・ヒットパレード(1987年・1995年)[8][9]
ホットヒット情報局(1988年)[9]
土曜の夜をつかまえて!(1988年)[9]
サンデーベストテン(1989年)[9]
スーパーギャング(1989年4月頃 - 1990年4月頃)[9]木曜担当 - 森脇健児と共演。
100万円クイズジャーナル(1991年)
もってけナイト(1991年)[9]
サンデーポップスベストテン(1992年)[9]
恋する電リクBINGO BONGO(1994年)[8][9] - 小林豊と共にパーソナリティ。