浜風_(陽炎型駆逐艦)
[Wikipedia|▼Menu]

浜風

基本情報
建造所浦賀船渠
運用者 大日本帝国海軍
艦種駆逐艦
級名陽炎型駆逐艦
艦歴
発注1937年度(B計画
起工1939年11月20日
進水1940年11月25日
竣工1941年6月30日
最期1945年4月7日戦没
除籍1945年6月10日
要目
基準排水量2,033トン
全長118.5 m
最大幅10.8 m
吃水3.8 m
主缶ロ号艦本式缶3基
主機艦本式衝動タービン2基2軸
出力52,000馬力
速力35.0ノット
航続距離18ノットで5,000
乗員239人
兵装50口径三年式12.7センチ砲連装×3
25mm機銃連装×2
61cm魚雷発射管4連装×2
爆雷16個
テンプレートを表示

浜風(はまかぜ)は[1]大日本帝国海軍駆逐艦。艦名表記は、正しくは濱風である[1]一等駆逐艦陽炎型の13番艦である[2]。艦名は初代「浜風」(磯風型駆逐艦)に続いて2代目。第17駆逐隊に所属した姉妹艦と太平洋戦争の主要な海戦に参加。戦艦「武蔵」、「金剛」、空母「蒼龍」、「飛鷹」、「信濃」といった帝国海軍主力艦の沈没に遭遇し、自身も1945年(昭和20年)4月7日の坊ノ岬沖海戦で戦艦「大和」と共に撃沈された。
艦歴
太平洋戦争緒戦

陽炎型駆逐艦13番艦「浜風」は、仮称第29号艦として浦賀船渠1939年(昭和14年)11月20日起工。1940年(昭和15年)11月15日附で命名[1]11月25日進水、1941年(昭和16年)6月30日に竣工、呉鎮守府籍に編入され[3]、同日附で第17駆逐隊に加わる[4][5]

太平洋戦争開戦時、第17駆逐隊は第一水雷戦隊(司令官大森仙太郎少将:旗艦「阿武隈」)に所属し、南雲機動部隊の護衛艦として真珠湾攻撃に参加。その後も僚艦と共に空母機動部隊護衛のためラバウル攻略、ダーウィン空襲ジャワ島攻略、セイロン沖海戦に従事した。3月6日、機動部隊司令長官南雲忠一中将は、第二航空戦隊(司令官山口多聞少将:空母蒼龍飛龍)、第三戦隊第2小隊(3番艦榛名、4番艦金剛)、第17駆逐隊(谷風、浦風、浜風、磯風)の8隻で別働隊を編制、機動部隊本隊から分離して残敵掃蕩を命じた。3月7日早朝、空母2隻の護衛に第2小隊(浜風、磯風)を残し、「金剛」、「榛名」、「谷風」、「浦風」はクリスマス島艦砲射撃を実施した。4月、第17駆逐隊は第十戦隊に編入され、引き続き機動部隊護衛艦として行動した。

6月上旬、ミッドウェー作戦に参加。6月5日、米軍機動部隊艦載機SBDドーントレス急降下爆撃機の攻撃で主力空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)は被弾炎上する。「浜風」と「磯風」は空母「蒼龍」の救援を行い、沈没した同艦乗組員を救助した。
ガダルカナル島の戦い

1942年(昭和17年)8月7日に米軍ガダルカナル島フロリダ諸島に上陸してガダルカナル島の戦いがはじまると、「浜風」は8月8日に本土を出港。8月18日-19日、第4駆逐隊司令有賀幸作大佐指揮下の陽炎型6隻(萩風陽炎、谷風、浦風、浜風)は[6]陸軍一木支隊先遣隊トラック泊地からガ島へ輸送した[7]。揚陸成功後、ポートモレスビー攻略にともなうニューギニア方面作戦に従事するため第17駆逐隊は「嵐」、「萩風」、「陽炎」をガダルカナル島に残し、ラバウルへ帰投した[8]。なお「浜風」等が送り届けた一木清直大佐以下陸軍兵約900名は、17駆がラバウルに到着した8月21日、イル川渡河戦で全滅している[9]

8月17日附で、第17駆逐隊(谷風、浦風、浜風)は外南洋部隊護衛部隊(指揮官松山光治第十八戦隊司令官)に編入され、第十八戦隊(軽巡洋艦天龍龍田)等と共に、ニューギニア島東部ミルン湾のラビ攻略を目指すラビの戦いに加わった[10]。8月24日朝、「天龍」、「龍田」、「谷風」、「浦風」、「浜風」および駆潜艇2隻は輸送船「南海丸」、「幾内丸」を護衛してラバウルを出撃し、連合軍機の空襲を受けつつ進撃した[11]。25日夜、ミルン湾への上陸に成功するが、使用した海図が不正確だったため揚陸地点を間違え、上陸した海軍陸戦隊も陸上地図をもっておらず、窮地に陥る[12]。第十八戦隊と第17駆逐隊は対地砲撃をおこなうが、無線での連絡も難しく、効果は不明だった[13]。「龍田」と「浦風」が輸送船を護衛してラバウルへ帰投した後、「天龍」、「谷風」、「浜風」は引き続きミルン湾やラビ方面にあって対地支援を行う[13]。日本側は泥濘と物量と連合軍航空攻撃により苦戦を強いられ、飛行場攻撃も失敗する[14]。「天龍、谷風」がラバウルへ帰投した後、「浜風」は27日夜ミルン湾に突入して陸戦隊との信号連絡に努めたが、悪天候と視界不良のため失敗した[14]。「浜風」は一旦ラバウルへ帰投した。8月28日、外南洋部隊指揮官三川軍一第八艦隊司令長官は第十八戦隊を基幹としてラビ攻略部隊を編成、兵力を増強する[15]。29日、「天龍」、「谷風」、「浦風」と海軍陸戦隊を乗せた駆逐艦「」、「叢雲」、「弥生」および哨戒艇3隻がミルン湾に到着して上陸作戦を敢行する[16]。だが夜襲攻撃に失敗し、対地砲撃で陸戦隊を支援するため「龍田」と「浜風」の派遣が決まる[17]。2隻は8月31日夕刻にラバウルを出撃[17]。途中で駆逐艦「嵐」(有賀司令)と哨戒艇2隻(安田部隊200名分乗)と合流すると、「浜風」は同部隊の護衛に加わった[18]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:84 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef