浜離宮恩賜庭園
Hama-rikyu Gardens
潮入の池と中島の御茶屋
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分類都立庭園・特別名勝・特別史跡
所在地 日本東京都中央区浜離宮庭園
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分36秒 東経139度45分49秒 / 北緯35.66000度 東経139.76361度 / 35.66000; 139.76361
浜離宮恩賜庭園(はまりきゅう おんしていえん)は、東京都中央区浜離宮庭園にある都立庭園である。旧浜離宮庭園(きゅう はまりきゅう ていえん)として特別史跡・特別名勝に指定されている。 東京湾から海水を取り入れ潮の干満で景色の変化を楽しむ、潮入りの回遊式築山泉水庭[注 1] [4] [注 2]。 園内には鴨場、潮入の池、茶屋、花畑やボタン園などがある[4]。2000年代前半に西側の旧汐留貨物ターミナルが再開発されて汐留高層ビル群が林立し、庭園とコントラストを成している[5]。 江戸時代に甲府藩下屋敷の庭園として造成され、その後徳川将軍家の離れ御殿(御浜御殿)や、宮内省管理の離宮(浜離宮)を経て、東京都に下賜され都立公園として開放された。近年、かつて園内にあった複数の建築物の再建が進められており、4棟のお茶屋などが復元されている。 天正18年(1590年)、徳川家康が関東の領主として江戸入城の頃は、城の東方の平地は至る所は芦原で、武士の屋敷や町人の家として割り付ける土地は10町にも満たなかった[6]。また、城の西南の台地は一面の葦で武蔵野に繋がっており、低地には沼や池が多く存在したため、城下の発展には埋立が必要な状態だった[6]。この頃の海岸線は、現在の田町駅から日比谷周辺のくびれた入江を通り新橋駅に至るものだった[7]。慶長8年(1603年)、家康が征夷大将軍となって江戸に幕府が開かれ、江戸の町の発展に備えるため埋立が始まった[6]。家康、秀忠、家光の三代にわたり埋立てが行われ、東京奠都までの歴史は埋立の歴史だった[7]。神田山(現駿河台南部)を切り崩し、その土で江戸城の東方と南方の海洲(半島、砂嘴)を、諸大名に石高一千当たり人夫一名を動員して埋め立てた(天下普請)[6]。現浜離宮一帯は当時「芝」と呼ばれ、江戸城周辺に下町が整えられた後、この周辺の埋めてが行われた[7]。最も早かったのが東海道で、それに沿って町屋ができ、海に接していた[7]。
概要
歴史
かつての浜離宮