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御堂筋ランウェイ2022にて(2022年11月)。
ニックネーム浜ちゃん
ダーハマ[1]
別名義浜田ばみゅばみゅ
生年月日 (1963-05-11) 1963年5月11日(61歳)
出身地大阪府大阪市浪速区(出生地)
兵庫県尼崎市(出身地)
血液型A型
身長165 cm
言語日本語
方言関西弁
大阪弁
最終学歴日生学園第二高等学校 [注 1]
出身NSC大阪校1期
コンビ名ダウンタウン
グループ名H Jungle with t
(1995年 - 1996年)
浜田雅功と槇原敬之
(2004年)
相方松本人志
芸風漫才・コント(ツッコミ)
MC
ドツき
立ち位置右
事務所吉本興業
活動時期1982年 -
同期トミーズ
ハイヒール
ガダルカナル・タカなど
現在の代表番組レギュラー番組
ジャンクSPORTS
ごぶごぶ
浜ちゃんが!
プレバト!!
オオカミ少年
スペシャル番組
芸能人格付けチェック
過去の代表番組人気者でいこう!
HAMASHO
浜ちゃんと!
作品「WOW WAR TONIGHT」
「チキンライス」
「なんでやねんねん」
配偶者小川菜摘
親族ハマ・オカモト(長男)
公式サイト公式プロフィール
浜田 雅功(はまだ まさとし、1963年〈昭和38年〉5月11日 - )は、日本のお笑いタレント、漫才師、歌手、俳優、司会者。お笑いコンビ・ダウンタウンのツッコミ担当。相方は松本人志。
大阪府大阪市浪速区生まれ、兵庫県尼崎市育ち。吉本興業所属。戸籍上の正式な名前の表記はM田 雅功。愛称は「浜ちゃん」(はまちゃん)[2]。
妻は女優でタレントの小川菜摘。長男はロックバンド・OKAMOTO'Sのメンバーでベーシストのハマ・オカモト[3]。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
略歴
出典検索?: "浜田雅功"
御堂筋ランウェイ2022にて、相方の松本と
大阪府大阪市浪速区で生まれ、兵庫県芦屋市に引越し家族で暮らしていたが[4]幼稚園に上がる頃には尼崎市へ再び引越す。
尼崎市立潮小学校、尼崎市立大成中学校、日生学園第二高等学校卒業。小・中学校の同級生には後の相方となる松本、放送作家の高須光聖がいた。小・中学校時代のあだ名は「浜ちょん」。小学生の頃は松本と同じクラスにはならなかったため、交流は少なかったものの中学2年時には松本と同じクラスとなり、親睦を深めるようになる。当時、共に遊んでいた松本の相方・伊東と浜田が喧嘩へ発展し、その喧嘩が終わった後で松本が浜田に「まっつん、もう行こうや」と促されて「何かよう分からんけど浜田の方について行った」「あの時伊東についていったらダウンタウン結成はなかった」と述懐したエピソードはコンビ結成の瞬間として、松本により度々語られている。後にこの喧嘩の発端は2003年12月27日に開催された『放送室 高須ちゃん生誕40周年祭り』日本武道館公開録音にて、伊東本人が「浜田がよく俺の弟をようおちょくってて、最初は俺も笑っとったけど段々兄貴としてムカついた」のが喧嘩に繋がったと回想している。
同じく中学時代、友人の家に松本らと遊びへ行ってみると留守だったため、家のドアをノコギリで切り壊して勝手に中へ入る悪事を働いた。これがきっかけで担任から三重県伊賀市に位置する全寮制でスパルタ教育を実施していた日生学園高等学校(現在は桜丘高等学校)を勧められ、中学卒業後の1979年に入学。2年生の頃に(1980年)には日生学園高等学校の兄弟校にあたる全寮制の日生学園第二高等学校(三重県津市、現在は青山高等学校)が開校し、浜田は同校へ転校する。在学中はクラスの副委員長[5][信頼性要検証]及び寮の副学寮長を務めていた。
非行がきっかけで入学した経緯もあり、松本には進学先のことを内緒にしていた。松本は「僕、結局、直接あいつからその学校の名前聞いたことはないです。もう、周りから完全にわかって、もう今や誰もが知ってる事実になってるけど、あいつの口からはまだ、僕は未だに一回も聞いたことはないんですよね」と語っている[6]。
別々の高校に進学したため松本との交流は途絶え、共に吉本興業に入るという中学時代の約束も有耶無耶になっていた[7]。浜田は競艇選手の試験を受けるも不合格(学科試験は通過するも面接で不合格)となり[8][9]、松本は就職試験を受けて印刷会社から内定を得ていた。その後、浜田は偶然貰った吉本総合芸能学院(NSC)の広告を契機として松本を誘い、共にNSC大阪校1期生として入学。当初のコンビ名は「松本・浜田」だったが、複数回の改名(「まさと・ひとし」→「てるお・はるお」→「ライト兄弟」)を経て現在の「ダウンタウン」となった[注 2]。
1987年から始まった『4時ですよーだ』によって関西で多大なる人気を博し、1988年に『夢で逢えたら』で東京進出。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』『ダウンタウンのごっつええ感じ』『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』などで全国的に人気を獲得。
1990年以降は俳優としてテレビドラマへの出演も多く、『パパとなっちゃん』を皮切りに『ADブギ』『十年愛』『もしも願いが叶うなら』『人生は上々だ』『竜馬におまかせ!』『ひとりぼっちの君に』などで、主演・主演級を務めた。1995年3月、H Jungle with t名義で発売したシングル『WOW WAR TONIGHT ?時には起こせよムーヴメント』は200万枚超えの大ヒットとなる。また同年、スカジャンに501XX等のヴィンテージジーンズを合わせる、長髪の前髪をサングラスでカチューシャ替わりに上げるなど、浜田はファッションアイコンとしても注目を集めた。浜田のスタイルを真似た「ハマダー」は男性間の流行ファッションのひとつとなり[10]、現在活躍する後輩芸人にも影響を与えている[11]。 この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2020年12月)
人物
テレビでは司会・進行役を担う機会が多い。番組の収録時間が短いことで知られ、『ダウンタウンDX』では毎回70分ほどの収録で済ませる(通常は放送尺に対して少なくとも倍の時間は収録する)。観客を入れた番組の場合はダレるのを嫌いその場のライブ感を重視しており、スタッフにも収録時間が極力伸びないよう求めている[12]。また、大の阪神ファンである千秋の「優勝の瞬間を見たい」というリクエストに応じ、1時間番組の収録を45分で終えたこともある[12][13]。
2003年12月8日に行われた、ザ・ドリフターズが全員揃っての最後の仕事となった『ドリフ大爆笑』のOP・EDの収録へ居合わせていた。当時の浜田は別番組収録のためスタジオ入りしていたが、ドリフが隣のスタジオで撮影中だと聞きつけ挨拶に訪れていた。メンバーと会話を交わし、亡くなる直前のいかりや長介とも対面している[14]。この模様は撮影されており、後にテレビでも流された。
H jungle with tにてデュオを組んだ小室哲哉は、ボーカリストとしての浜田を「浜ちゃんは『キーが高い』という売れる条件を備えている。とりあえずCHAGE and ASKA・B'zはもう抜いた」と絶賛している[15]。
役者及び声優として出演の際、または番組構成スタッフテロップでの表記は「浜田雅功」ではなく、旧字体が含まれた戸籍上の表記である「M田雅功」としている。その理由は「役者業は個人で頂いている仕事なので、どうなろうが自分の責任であるから」「前者はダウンタウンとしての名義であり、前者名義で個人活動していて失敗しまった場合には相方の松本に迷惑が掛かってしまうから」と述べている。ただし、この場合でも旧字体の使用に制限がある一部メディアでは、新字体の前者名義に修正した上で表記される。
似顔絵では唇を強調されることが多い。
ドSであることが芸人内では頻繁に語られている。
好きな食べ物はコロッケ(特に中村屋)、柔らかいパン、かんぴょう巻き、焼きそば(特に日清焼そばU.F.O.が大好物)、鰤の照り焼き、目玉焼きの乗ったハンバーグ、しゃぶしゃぶ、キムチ、オムライス、ドーナツ(特にオールドファッション、エンゼルクリーム、フレンチクルーラーが大好物)、マヨネーズ、食パン。苦手な食べ物はトマトとコーヒー。
喫煙者であり、カメラが回っていなければリハーサル中やロケ中、打ち合わせ中、移動中にもたばこを嗜むほどのヘビースモーカー[16]。
「一緒に吉本で漫才やろう」と松本を誘った張本人にも拘らず、お笑いに造詣が深く積極的に賞レースにて審査員及び立会人を務める松本とは対照的にお笑いへはほとんど興味を持たず、M-1グランプリといった賞レースも観ていないことを松本から度々ツッコまれている[17][18]。
テレビで良い仕事をしていると感じた後輩のツッコミ芸人に矢部浩之(ナインティナイン)、名倉潤(ネプチューン)、蛍原徹、三村マサカズ(さまぁ?ず)、天野ひろゆき(キャイ?ン)、トシ(タカアンドトシ)、後藤輝基(フットボールアワー)の7名を挙げている[19]。