浜田 宏一生誕 (1936-01-08) 1936年1月8日(83歳)
国籍 日本
研究分野国際金融論、ゲーム理論
母校東京大学
イェール大学
影響を
受けた人物大石泰彦
館龍一郎
小宮隆太郎[1]
ジェームズ・トービン[2]
フランコ・モディリアーニ
チャリング・クープマンス
論敵野口悠紀雄
影響を
与えた人物白川方明
池田信夫
山崎元
福田慎一
田村耕太郎
三村和也
中尾武彦
受賞日経・経済図書文化賞
エコノミスト賞
浜田 宏一(はまだ こういち、1936年1月8日 - )は、日本の経済学者。専攻は国際金融論、ゲーム理論[3]。東京大学名誉教授、イェール大学名誉教授、Econometric Society終身フェロー、内閣官房参与。 1936年、東京生まれ[4]。神奈川県立湘南高等学校卒業後は東京大学教養学部(前期課程)に入学。専門課程では法学部に進学し、川島武宜の民法を学んだ[5]。東大法学部在学中に旧司法試験、外交官試験、国家公務員上級職試験を合格したが、卒業後は同大学経済学部に学士入学し、経済学者への道を進んだ。その後、東京大学大学院にて経済学修士号を、イェール大学にて経済学の博士号を取得した。イェール大学では、ジェームズ・トービン教授(1981年ノーベル経済学賞受賞)に師事した[6]。
目次
1 人物
1.1 トービンの教え
2 来歴
3 主張
3.1 構造改革
3.2 法人税
3.3 為替と物価
3.4 日本銀行
3.5 アベノミクス
3.6 通貨統合
3.7 外交
4 批判
5 著書
5.1 単著
5.2 共編著
5.3 共著
5.4 訳書
5.5 学術論文
6 公開書簡
7 主な門下生
8 脚注
9 外部リンク
人物
バブル崩壊後の失われた10年においては金融政策の失策がその大きな要因とみなし[8][9]、特に岩田規久男の主張を評価している[10]。日本銀行の金融政策を批判し[11][12][13][14]、リフレーション政策の支持者の一人とされる[15][3]。 「アメリカに留学するなら、イェール大学に行って、ジェームズ・トービンに学びなさい」という館龍一郎のアドバイスに従い、浜田は後にノーベル経済学賞を受賞することになる経済学者に教えを請うことになった[16]。 浜田は著書『アメリカは日本経済の復活を知っている』の中で「館と同じように、トービンも、学問はもとより人柄もプリンシプル(主義や信条)の面でも、本当に立派な学者だった。文字通り、私は敬服の限りだった」と述べている[16]。 また浜田は「トービンとの師弟関係のなかで印象的だったことはいくつもある。一つは、博士論文を書こうとした際トービンに指導教授になってもらい、自分の論文を書こうという段になった。テーマは国際間の資本移動である。私が『文献を調べる』といったところで、途端に遮られた。トービンに『自分で考えずに文献を調べてはいけない。先行研究すると、君の発想・アイデアが消されてしまう。まずは、自分の頭で考える。そうすることで、先人がどのように苦労してきたかが分かる。その上で、困ったときに他の人の文献を見ればいい』とアドバイスされた」「日本にはないやり方であり、非常にありがたい助言だった。その影響で、私は先行研究を知ることに熱心ではない。勿論、論文を公刊する前に先人の業績とどう違うか調べなくてはならない。時には怠って、すでに発表されているものと重複してしまい、審査員に突き返されることもある。トービンの指導は、自分の発想の持ち味を殺さないという意味で貴重であった」と述懐している[16]。
トービンの教え
来歴
1954年 - 神奈川県立湘南高等学校卒業
1957年 - 司法試験第二次試験合格
1958年 - 東京大学法学部卒業
1960年 - 東京大学経済学部卒業
1962年 - 経済学修士(M.A.)取得 (東京大学) フルブライト奨学生としてイェール大学へ留学
1964年 - 経済学修士(M.A.)取得 (イェール大学)
1965年 - イェール大学で(Ph.D.)取得(指導教授はジェームズ・トービン) 東京大学助手に就任
1967年 - 日経・経済図書文化賞受賞
1969年 - 東京大学経済学部助教授に昇格
1971年 - マサチューセッツ工科大学客員研究員(1973年まで)