浜島町浜島
大字[1]
浜島(1975年)
(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)
浜島町浜島の位置
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}浜島町浜島浜島町浜島の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度17分46.1秒 東経136度45分23.7秒 / 北緯34.296139度 東経136.756583度 / 34.296139; 136.756583
国 日本
都道府県 三重県
市町村 志摩市
大字名制定2004年10月1日[1]
面積[2]
? 合計3.745 km2
標高9.3 m
人口(2024年(令和6年)3月31日現在)[WEB 1]
? 合計2,613人
? 密度700人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号517-0404[WEB 2]
市外局番0599(阿児MA)[WEB 3]
ナンバープレート伊勢志摩[WEB 4]
※座標・標高は志摩市浜島支所(浜島町浜島755番地)付近
浜島町浜島(はまじまちょうはまじま)は三重県志摩市の大字[1]。住民基本台帳に基づく2024年3月31日現在の人口は2,613人[WEB 1]、1989年現在の面積は3.745km2[2]。郵便番号は517-0404[WEB 2](集配局:阿児郵便局[WEB 5])。地形にちなんだ地名であると考えられている[3]。
浜島町の人口の4分の3が集中する[WEB 6][注 1] 中心的な集落で、伊勢えびの漁獲と遠洋漁業が盛んな地区である。 志摩市の西部、志摩市街地・阿児町鵜方から見て南西の方角に位置する。地形的には海岸の低地と標高の低い丘陵からなる[3]。東側と南側が英虞湾に面し、南東部は同湾に突き出す形をしている。北は浜島町塩屋(飛び地)、西は浜島町南張(なんばり)と接する。大崎半島西部に飛び地があり、浜島町迫子(はざこ)と接する。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[WEB 7]。 番・番地等小学校中学校 小字目戸山(めどやま)で古墳時代後期のものと見られる15基の円墳が見つかっており、1937年(昭和12年)7月2日に「浜島古墳」として三重県指定史跡となっている[4]。全長7.2mの石室やメノウ・須恵器・3口の鉄刀などが出土している。ほかにも小字宮山の「宮山古墳群」や貝塚が発見されており[4]、太古の時代から人が住んでいたのは確かである。 「浜島」という地名が見られるのは古代の『郷村旧神楽歌』中の「御座浜島の三宮神」[4]、永禄8年の伊勢国大湊の入港記録である『船々聚銭帳』に浜島から1艘の船が入港した[3]、と記載されていたくらいで、浜島町の地区に比べて少ない。応永年間(1394年 - 1428年)にやって来た土豪の小野田氏(浜島氏とも)は浜島城をこの地に構えた。浜島城は本丸だけでなく、二の丸・三の丸まで備えた壮大なもの[5]で、一部土塁を残している[6]。戦国時代には小野田筑後が治めていたが、九鬼嘉隆の浜島攻めに遭い降伏、その後は家老として九鬼家に仕え、文禄の役で奮闘したと伝えられる[5]。 江戸時代には鳥羽藩鵜方組(志摩国英虞郡)に属した。この頃浜島港は「志州四箇津」の1つに数えられ、志摩国内で鳥羽港に次ぐ千石船の寄港地として発達した[3]。江戸と上方を行き来する船乗り相手の妓楼[6]や「はしりかね[5][注 2] と呼ばれる遊女も現れた。
地理
島:矢取島(大矢取島・小矢取島・渡瀬)
山:浅間山
川:田杭川
峠:磯笛峠
小・中学校の学区
全域志摩市立浜島小学校
歴史
近世まで宮山一号古墳