株式会社浜屋百貨店
Hamaya Department Store Corporation長崎浜屋
種類株式会社
市場情報非上場[1]
略称浜屋、HaMaYa
本社所在地 日本
〒850-8510
長崎県長崎市浜町7番11号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯32度44分37.1秒 東経129度52分42.8秒 / 北緯32.743639度 東経129.878556度 / 32.743639; 129.878556座標: 北緯32度44分37.1秒 東経129度52分42.8秒 / 北緯32.743639度 東経129.878556度 / 32.743639; 129.878556
設立創業:1937年(昭和12年)6月28日[2]
業種小売業
法人番号5310001002439
事業内容百貨店
代表者代表取締役会長 中牟田真一
代表取締役社長 栗山次郎[3]
資本金2億5000万円
純利益▲1億2549万6000円
(2024年2月期)[4]
純資産18億1746万7000円
(2024年2月期)[4]
総資産102億3287万9000円
(2024年2月期)[4]
支店舗数百貨店 1
ギフトサロン 5
決算期2月末日
主要株主株式会社岩田屋三越[5]
主要子会社浜屋友の会株式会社[6]
外部リンクnagasaki-hamaya.jp
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株式会社浜屋百貨店(はまやひゃっかてん、英: Hamaya Department Store Corporation)は、長崎県長崎市に本社を置く企業(日本の百貨店)。2013年(平成25年)以後は長崎浜屋(ながさきはまや)のみを経営している。日本百貨店協会・九州百貨店協会加盟。 「大長崎発展のため欠くべからず」として長崎県や長崎市商工会議所、地元商店街の支援を受けつつ、長崎財界の実業家から出資を集めて[7]、藤木喜平[8]が株式会社浜屋百貨店を設立して、1939年(昭和14年)12月15日に浜屋百貨店を開いたことが始まり[2]。 太平洋戦争後は1953年(昭和28年)12月1日に増床し[2]、1958年(昭和33年)11月29日にも増床して[2]長崎で最大級の売場面積を誇る百貨店となり、1963年(昭和38年)2月に福岡市に本店を置く岩田屋と資本・業務提携[9]してその傘下に入りながら、同じ地場資本の百貨店岡政(後の長崎大丸)や1969年(昭和44年)5月に佐世保市から進出してきた佐世保玉屋が経営する長崎玉屋[10]などのライバルの百貨店と激しい競争を繰り広げ、長崎玉屋も一部フロアを閉鎖して縮小し、2010年(平成22年)7月に長崎大丸が閉店したため、長崎市内では事実上最後の百貨店として生き残ることに成功している。 また、1983年(昭和58年)5月に長崎県大村市の中心市街地本陣通りに大村浜屋を開業[11]して百貨店の多店化を進めたほか、1987年(昭和62年)には長崎市の住宅団地のダイヤランド内にスーパーマーケットのハマヤショッピングセンターを開業する[12]など岩田屋と同様に小売業での多店化・多角化を行った。 しかし、大村浜屋は1989年(平成元年)度に売上高約41.99億円を上げたが[13]、1995年(平成7年)4月に大村市の郊外に進出したジャスコ大村店の影響で急激に中心市街地の来街者が減少した影響を受けて、1996年(平成8年)2月に6階売場を縮小し[11]、2003年(平成15年)3月にジャスコ大村店が増床すると今度は3-5階の売場を閉鎖とジャスコの進出・増床の度に縮小し[11]、最晩期は地下1階-地上2階のみで売場面積は開業時の約8,600m2[11]半分以下の約3,970m2で営業してする形となった[14]。2012年(平成24年)2月期に売上高約9.48億円へ落ち込んで4300万円の赤字となるなど開業以来一度も黒字とならなかった上[15]、今後も売り上げ増が見込めないためとして、2013年(平成25年)3月に閉店することになった[16]。 また、ハマヤショッピングセンターも近隣に大手スーパーが進出して業績が低迷し[12]、2012年(平成24年)2月期に売上高約5.12億円と最盛期の約半分まで落ち込み[15]、店舗も老朽化していたため[13]、大村店よりも一足早く2012年(平成24年)10月21日で閉店となった[15]。 長崎の百貨店の中では地域一番店の地位を守り、1997年(平成9年)2月期の売上高210.08億円を2000年(平成12年)2月期でも約206.45億円と僅か1.7%の減少[1]にとどめ、1997年(平成9年)の売上高85.42億円を2000年(平成12年)2月期に約75.57億円と11.5%減少させた長崎大丸[1]や、同じく1997年(平成9年)の売上高239.08億円を2000年(平成12年)2月期に約212.79億円と11.0%の減少させた佐世保玉屋[1](長崎玉屋も経営)などのライバルより落ち込みを少なくしたほか、JR長崎駅のアミュプラザや元船町にイズミの夢彩都が2000年(平成12年)に進出した後は売上が減少したものの2005年(平成17年)2月期には増収増益を達成する[17]など営業努力を続け、2011年(平成23年)7月に、過去最高の98年2月期(85億円)に比べ売上高が約4割減少し49.26億円となり赤字が続いていた長崎大丸が閉店[18]に追い込まれる厳しい状況下で、百貨店としての存続に成功している。 また、近年は加賀能登のれん会と提携した石川県の食品、工芸関連の伝統産業ツアーを2008年(平成20年)3月に実施[19]したり、2012年(平成24年)1月からは井筒屋、鶴屋百貨店、トキハ、山形屋、佐賀玉屋、佐世保玉屋、県民百貨店、リウボウインダストリーという九州の地場資本の百貨店が大同団結した商品開発と共同仕入れに参画する[20]など新たな動きも見せている。
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