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この項目では、作曲家の浜圭介(元歌手の牧宏次、大木賢、浜真二)について説明しています。ホラー漫画家の浜慎二については「浜慎二」を、俳優の浜伸二、浜伸詞については「時代吉二郎」をご覧ください。
浜 圭介
出生名金野 孝
生誕 (1946-04-06) 1946年4月6日(78歳)
出身地 満洲国
職業作曲家
浜 圭介(はま けいすけ、1946年4月8日[1] - )は、日本の作曲家、元歌手。旧満洲[1](中国東北部)出身。
旧芸名は牧 宏次、大木 賢、浜 真二。本名は金野 孝(こんの たかし)。妻は元歌手の奥村チヨ。 1946年4月8日、旧満洲(中国東北部)の収容所で生まれ、1歳の時に日本に引き揚げる[1]。青森県大鰐町、次いで北海道札幌市に移り住み幼少期を過ごす。 15歳の時に高校を中退し、歌手を目指し上京[1]。森山加代子の付き人となる[1]。 1964年、牧 宏次の芸名で『波止場のロック』で歌手デビュー[1]。しかしヒットに恵まれず、一度青森に戻る[1]。1966年に大木 賢(おおき けん)の芸名で『これが愛さ』で歌手として再デビュー[1]。 1968年、浜 圭介のペンネームで作曲活動を始める[1]。同年、浜 真二の芸名で『おんな道』にて歌手としても再々デビュー[1]。漣健児に師事する。 1971年、奥村チヨに作曲提供した『終着駅』が大ヒット。 (歌: 内山田洋とクール・ファイブ、作詞: 千家和也) (歌: 千葉紘子、小柳ルミ子ほか、作詞:安井かずみ) (歌: 小柳ルミ子、作詞: わたなべ研一
来歴・人物
1973年、第15回日本レコード大賞作曲賞受賞。
1974年、奥村チヨと結婚。
同年、再び大木賢の芸名を用いて、シングルレコードを1枚リリース。
1975年、北原ミレイに提供した石狩挽歌では、小樽 貴賓館 旧青山別邸(国 登録有形文化財)内 庭園に石狩挽歌の記念石碑が建てられ、なかにし礼、北原ミレイらとともに名が刻まれた。
1980年、八代亜紀に提供した『雨の慕情』が第22回日本レコード大賞で大賞を受賞。
1985年、韓国で発掘した桂銀淑が『大阪暮色』でデビュー、以来多くのヒット曲を手掛ける。
2005年4月29日、春の褒章で紫綬褒章を受章[2]。
2015年7月22日、松坂慶子とデュエットした『哀愁の札幌
ディスコグラフィ
シングル
牧宏次 名義
波止場のロック c/w ながれ者 (1964年)
大木賢 名義
これが愛さ c/w 初恋は君だけに (1966年)両曲とも本人による作詞・作曲。
星空のマリア c/w まわり道 (1967年)
恋人たち c/w 星にきいてごらん (1967年)
雨のキー・ボックス c/w 雨もよう (1974年9月)
浜真二 名義
おんな道 c/w ネオン花 (1970年1月10日発売)
心にあなたは入れない c/w 悲しい悲しい恋の唄 (1971年)
あなたのすべてを c/w あいつ (1971年)
バスが来たら c/w 涙唄、別れ唄、子守唄 (1972年)
アルバム
浜真二 名義
おんな道 (1970年3月)
主な提供曲
役者
雨
十五夜の君
悲しみの町(歌: 藤圭子、作詞: 石坂まさを)1972年12月5日発売
雪のブルース(歌: 藤圭子、作詞: 石坂まさを)1973年12月5日発売
世界は僕らのもの
愛と友情
(歌: 西城秀樹、作詞:たかたかし )
黄昏よ、そばにいて
みんなBluesを唄ってた
心の扉
あれから君は
(歌: 西城秀樹、作詞:荒木とよひさ )
祖谷のむすめ