浜名湖
浜名湖周辺の空中写真。
2006年1月12日撮影の48枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
浜名湖(はまなこ)は、静岡県西部の浜松市と湖西市にまたがる湖。今切口で遠州灘とつながっており、太平洋の海水が流入する汽水湖となっている[2]。 元々は淡水湖であったが、室町時代に起きた明応地震(1498年)と高潮により砂州が決壊して外海と通じ、汽水湖となった。汽水湖は栄養豊富で海の生物が行き来できるため生物多様性に恵まれ、魚類401種、甲殻類59種、軟体動物84種が生息しているとの調査報告[要文献特定詳細情報]がある。湖の面積としては日本で10番目の大きさである[3]。 形は複雑で、細江湖(引佐細江)(ほそえこ(いなさほそえ))、猪鼻湖(いのはなこ)、松見ヶ浦(まつみがうら)、庄内湖(しょうないこ)といった支湖[2]や湾を持ち、これらの面積は湖全体の面積の4割に達する。このため、周囲長は日本の汽水湖では最長[2]、湖全体では3番目となる。湖の北側と南側で水深は大きく異なり、北側は深く、南側は比較的浅い。浜名湖の各水域と周辺地形の名称 近くに存在する佐鳴湖とは、新川を通して繋がっている。なお、河川法上は、浜名湖は二級河川都田川水系都田川として河川指定がなされており、浜名湖に注ぐ全ての河川も、水系では都田川水系として扱われる。 湖内南端付近に弁天島があり、湖内北部の大崎半島の先に面積20アールほどの、松に覆われた礫島(つぶてじま)がある[4]。 湖の南部に比べ北部では潮汐の時刻が遅れる。南の舞阪検潮所に比べ中ほどの村櫛で2時間ほど、北の奥浜名湖(猪鼻湖、細江)や舘山寺温泉方面では3時間ほどである。 天然魚の漁業や釣りのほかウナギ、ノリ、カキ、スッポンなどの養殖が盛ん。特に養殖ウナギは有名で、鰻丼(鰻飯)、ウナギボーン、うなぎパイなどの特産品がある。ウナギ稚魚価格の高騰と輸入ウナギに押される形で養殖業者、漁獲量ともに1980年代から減少を続けており、現在の漁獲は最盛期の1/3以下となっている。 浜名湖独特の伝統的な漁法であるたきや漁 潮干狩りでも利用され、主としてアサリが採取される。漁業でのアサリの収穫量は2010年代に入り減少しており、原因は水質浄化による栄養不足、塩分濃度の変化、クロダイなどによる稚貝食害などが考えられており、浜松ホトニクスが漁協を支援して、パブロバという植物プランクトンを増やして稚貝に食べさせ、生殖力を高めてから浜名湖に放つ取り組みを進めている[5][6]。 また、浜名湖周辺は観光地・リゾート地としても利用されており(後述)、ボートやヨットなどのマリンスポーツも盛んに行われている。北部には舘山寺温泉がある。 浜名湖県立自然公園にも指定されている。 浜名湖の歴史はおおよそ40?50万年前の海侵期まで遡り、天竜川による土砂の堆積により台地が形成されたことが始まりである。次の海退期に現在の浜名湖付近に谷形が形成され、38万年前、第二海侵期に入り江となる。このとき三方原台地が堆積する。この後の海退期には天竜川が台地を三方原と磐田原の二つに分裂させ、第三海侵期に浜名湖付近の沈降と海面上昇で、現在の浜名湖に近い入り江が出来る。第四海退期(約2万年前)には、それに続く沖積世の海面上昇により、沿岸流が運ぶ土砂で海への入口を塞がれ、浜名湖を形成した[7]。 沖積世の海面上昇は縄文海侵(海進)とよばれ、このあと+3mから-2mほどにわたる数度の海侵・海退が訪れた。これにより低地には海岸線に平行な砂堤を複数残している。その最大は雄踏町で高さ10mである。縄文時代中期?後期以降、浜名湖は庄内半島から日ノ岡より北にあり、その南は平野となっていて川として現在の弁天島駅付近で海に注いでいた。その後この大平野が消滅、平安時代には浜名湖の出口は現在の湖西市新居町大倉戸に流れていて橋が掛けられた。この川を浜名川と呼び、ここを東海道が通っていた。 一般的に古名は遠津淡海(とおつあわうみ、遠淡海)と呼ばれており、遠江の語源となったとも言われる。一方、向坂鋼二 しかし、明応7年(1498年)に起きた明応地震やそれに伴う津波により、浜名湖と海を隔てていた地面の弱い部分(砂提)が決壊し現在のような汽水湖となった。
地理
潮汐の時刻の遅れ
利用今切口付近から引佐細江浜名大橋と今切口浜名湖サービスエリアより見た夕暮れの浜名湖
歴史