浜厚真駅
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浜厚真駅
駅舎(2017年8月)
はまあつま
Hama-Atsuma

勇払 (9.6 km) (7.8 km) 鵡川

所在地北海道勇払郡厚真町字浜厚真.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯42度36分24.30秒 東経141度50分12.93秒 / 北緯42.6067500度 東経141.8369250度 / 42.6067500; 141.8369250座標: 北緯42度36分24.30秒 東経141度50分12.93秒 / 北緯42.6067500度 東経141.8369250度 / 42.6067500; 141.8369250
所属事業者北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線日高本線
キロ程22.7 km(苫小牧起点)
電報略号ハマ
駅構造地上駅
ホーム1面1線
開業年月日1913年大正2年)10月1日[1]
備考無人駅
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浜厚真駅(はまあつまえき)は、北海道胆振総合振興局勇払郡厚真町字浜厚真にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線事務管理コードは▲132202[2]

厚真町唯一の鉄道駅であるが、町中心部からは離れた位置にある。
歴史1975年の浜厚真駅と周囲約1キロメートル範囲。右が静内方面。千鳥状の相対式ホーム2面2線と駅表貨物ホーム及び駅裏静内方ストックヤードにそれぞれ引込み線を有している。この後、駅裏側線は貨物取扱廃止に伴い撤去された。また、1983年(昭和58年)時点[3]では、まだ貨物ホーム側側線は残されている。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

1913年(大正2年)10月1日:苫小牧軽便鉄道の厚真駅(あづまえき)として開業[4]一般駅[1]

1925年(大正14年)11月15日:浜厚真駅(はまあづまえき)に改称[5]

1927年(昭和2年)8月1日:苫小牧軽便鉄道が国有化により国有鉄道に移管。線路名が日高線に改称され、同線の駅となる。同時に駅名の読みを「はまあつま」に改称。

1943年(昭和18年)11月1日:線路名を日高本線に改称、それに伴い同線の駅となる。

1972年(昭和47年)10月:苫小牧東部大規模工業基地開発に伴う、掘り込み水路新設に支障するため、北海道知事から国鉄北海道総局に日高本線の付け替え要請。これにより検討された付け替え路線の案では室蘭本線と別れる沼ノ端駅の手前から大きく北に迂回し、当駅の先で現在線と合流するものが検討されており、当駅は廃止となる計画であったが[6]、苫東地区の開発縮小により未成に終わった。

1977年(昭和52年)2月1日:貨物・荷物取扱い廃止[7]。同時に出札・改札業務を停止し旅客業務について無人化(乗車券・小荷物は簡易委託化)[8][9]。但し閉塞扱いの運転要員は継続配置[10]

1984年(昭和59年)4月:小荷物取り扱いを廃止。乗車券の発売場所を駅に変更[9]

1986年(昭和61年)

3月:乗車券の簡易委託廃止[9]

11月1日:電子閉塞の導入により運転要員無人化。


1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[1]

1987年(昭和62年):貨車駅舎に改築[11]

駅名の由来「厚真」の由来については「厚真町」を参照

「厚真」の海岸寄りにあるため「浜」を冠した[12]
駅構造

単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の南側(鵡川方面に向かって右手側、旧1番線)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている[13]

かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[3]。互いのホームは少しずれた位置にあり、駅舎側ホーム中央部分と対向ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した[3]。駅舎側(南側)が上りの1番線、対向側(北側)が下りの2番線となっていた[3]。そのほか1983年(昭和58年)4月時点では1番線の苫小牧方から分岐し駅舎西側のホーム切欠き部分の旧貨物ホームへの側線を1線有していた[3]。交換設備運用廃止後、線路は側線を含め1993年(平成5年)までには撤去された[13]

苫小牧駅管理の無人駅。駅舎は構内の南側に位置しホームに接している。有人駅時代の駅舎は改築され、車掌車改造のものとなっている。一時期はピンク色に塗装されていたが[14]、2015年に地元の小学生によるアイディアを基にした、波などが描かれた白基調のデザインに塗り替えられている(冒頭画像参照)。

駅舎(2005年4月)

ホーム(2017年8月)

駅名標(2017年8月)

利用状況

乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。

年度乗車人員出典備考
年間1日平均JR調査
1949年(昭和24年)54,399(149.0)
[9]
1951年(昭和26年)64,429(176.5)
1955年(昭和30年)47,358(129.7)
1957年(昭和32年)51,428(140.9)
1960年(昭和35年)40,232(109.9)
1965年(昭和40年)39,033(106.9)
1970年(昭和45年)37,960(104.0)
1975年(昭和50年)28,020(76.8)
1980年(昭和55年)10,560(28.8)
1992年(平成04年)(17)[15]1日乗降客数34人
2015年(平成27年)「10名超」[JR北 1]
2016年(平成28年)20.6[JR北 2]
2017年(平成29年)18.8[JR北 3]
2018年(平成30年)18.6[JR北 4]北海道胆振東部地震の影響により、8月末に実施された臨時調査の結果を使用。
2019年(令和元年)18.2[JR北 5]
2020年(令和02年)26.4[JR北 6]
2021年(令和03年)25.6[JR北 7]
2022年(令和04年)21.4[JR北 8]

駅周辺

苫小牧東部工業地帯が広がる。


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