浜中町営軌道
[Wikipedia|▼Menu]

浜中町営軌道
軌間762 mm
凡例

根室本線 



茶内 


 ↓茶内線


 0.0 茶内
円朱別線↓ 


 ? 国道
秩父内 0.0 


 4.0秩父内
南4号 ? 



下茶内 3.4 


 ? 西8線
中円朱別 5.6 


 ? 西10線
宮ノ岡 7.3 


 7.0 中茶内
東円朱別 9.2 



日向前 ? 


 ? 第三小学校
上風蓮 13.4 


 ? 西14線


 ? 西15線


 ? 萩の里


 11.9 西円農協支所前


 13.0 西円朱別


 ↑茶内線


 ↓若松線


   距離は中茶内起点


 ? 16線


 2.4* 上茶内


 5.9* 若松


 7.8* 別寒辺牛

浜中町営軌道(はまなかちょうえいきどう)は、かつて北海道浜中町にあった簡易軌道
概要

開拓者が入植した当時、火山灰地域であることから道路がなかなか整備できない状況であったため、1927年馬車鉄道として根室本線茶内駅から浜中町奥に入っていく路線が敷設された。戦後動力をから機関車及び自走客車に改めるなどして、近代化も図られた。

後には、雪印乳業明治乳業の工場への生乳輸送も盛んに行われるようになり、大半の殖民軌道が赤字経営に陥っていた1960年代にあっても当軌道は黒字経営であったため、1970年に国の補助金が打ち切られることになった後も独立採算で営業を継続する予定であったが、結局は道路網の整備で1972年に廃止された。本軌道の廃止によって北海道の殖民軌道の歴史は幕を閉じた。

昭和30年代に殖民軌道の研究を行っていた湯口徹によると、メーカーから納車された自走客車の試運転を定期列車の運行に全くお構いなく行い、その結果貨物列車と正面衝突を起こしかけたこともあったという。ちなみに、この試運転列車は貨物列車に道を譲る形で引き返し、そのまま40分遅れの定期列車として運行された。「念のために」本来の定期列車に割り当てられる列車がすぐ後ろを続行運転していたという。
路線データ

路線延長が最長だった時

路線距離:

茶内線(通称は西円線):茶内 - 西円朱別間 13.0km

円朱別線(通称は東円線):秩父内 - 上風蓮(
別海村上風蓮開南)間 13.4km。なお、別海村営軌道とは接続しない。

若松線:中茶内 - 別寒辺牛間 7.7km[注 1]


軌間:762mm

沿革

1927年(昭和2年)11月:茶内線茶内駅 - 奥茶内(後の若松)間、円朱別線秩父内 - 円朱別(後の下茶内)間開業[1]

一部の文献には1929年(昭和4年)11月10日を開業日としているが1926年-1929年に開通した7路線[2]が一斉掲載された北海道公報の掲載日[3]である。


1932年(昭和7年)8月:円朱別線下茶内 - 円朱別(東円朱別)間延伸開業[1]

1943年(昭和18年)茶内線中茶内 - 西円朱別間延伸開業[注 2]

1953年(昭和28年) 浜中村と農林省の間で管理委託協定が結ばれ、浜中村営軌道が誕生[1]

1957年(昭和32年)茶内線茶内 - 中茶内間改良工事により動力化(内燃)[1]

1958年(昭和33年)茶内線中茶内 - 西円朱別間改良工事により動力化(内燃)[1]

1962年(昭和37年)円朱別線秩父内 - 東円朱別間改良工事により動力化(内燃)[1]

中茶内 - 若松間を若松線として独立。

1964年(昭和39年)12月:若松線若松 - 別寒辺牛間延伸開業、若松線改良工事により動力化(内燃)[1]

1965年(昭和40年)12月:円朱別線東円朱別 - 上風連間延伸開業[1]

1971年(昭和46年)5月:円朱別線の日向前 - 上風蓮間の運行が休止される[4]

1972年(昭和47年)3月31日:全線廃止(上茶内 - 別寒辺牛間、日向前-上風蓮間は運行停止中)[1]

停留所一覧
茶内線
茶内 - 国道 - 秩父内 - 西8線 - 西10線 - 中茶内 - 第三小学校 - 西14線 - 西15線 - 萩の里 - 西円農協支所前 - 西円朱別
円朱別線
秩父内 - 南4号 - 下茶内 - 中円朱別 - 宮ノ岡 - 東円朱別 - 日向前 - 上風蓮(開南)
若松線
中茶内 - 16線 - 上茶内 - 若松 - 別寒辺牛



資料展示

茶内駅の駅事務室を改装し、浜中町営軌道に関する写真や資料を展示してある。

茶内駅近くのふるさと公園にディーゼル機関車(釧路製作所製)と自走客車(車体は解体)の台車が展示されている。

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 今尾 (2008) では7.8km。
^ 『簡易軌道写真帖』106頁では1941年であるが北海道概況では1943年末現在『北海道概況. 昭和19年[版』]で初めて掲載されている。

出典^ a b c d e f g h i 『簡易軌道写真帖』106頁
^ 小熊米雄「北海道殖民軌道」『鉄道ピクトリアル』No.259、59-60頁
^ 「殖民軌道使用開始告示一覧表」『北海道庁殖民軌道各線別粁程表』北海道庁拓殖部殖民課、1937年
^ 別海町郷土資料館 (2022年12月). “別海町歴史文化遺産「旧浜中町営軌道東円線(簡易軌道茶内支線) 上風蓮(開南)停留所」について” (PDF). 北海道別海町 (betsukai.jp). pp. 2,4. 2024年2月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:19 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef