浅野和三郎
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ペンネーム浅野馮虚、浅野憑虚
誕生 (1874-08-13) 1874年8月13日
茨城県稲敷郡源清田村
死没 (1937-02-03) 1937年2月3日(62歳没)
大日本帝国神奈川県横浜市
職業作家文学者、英米文学研究者
英語文献翻訳、英語教官、研究者
心霊主義研究・運動家
国籍 大日本帝国
最終学歴東京帝国大学英文学科
デビュー作『吹雪』
配偶者浅野多慶子(旧姓:安住)
子供浅野勝良(長男)
浅野新樹(次男)
浅野三郎(三男)
秋山美智子(長女)
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浅野 和三郎(あさの わさぶろう、1874年明治7年)8月13日[1] - 1937年昭和12年)2月3日)は、日本心霊主義運動の父。茨城県出身。筆名は浅野 馮虚(あさの ひょうきょ)、憑虚 とも。兄は海軍軍人浅野正恭
生涯

茨城県利根川下流のほとり、源清田村(現、稲敷郡河内町)に代々医を生業とする浅野家の、父元斎(げんさい)(婿入り)と母かんの三男として生まれる[2]

1896年(明治29年)、東京帝国大学に入学、時を同じく小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)が英文学担当教師として赴任し、教えを受ける。在学中に機関誌『帝国文学』に処女作「吹雪」を発表。浅野馮虚の筆名で、その後短編小説等を続々発表し文才を発揮。さらに、英文学科に在籍しながら、英米文学の翻訳にも手を広げ、アーヴィングの『スケッチブック』、ディケンズの『クリスマスカロル』、エドワーズの『奇々怪々』を出版した。このような経歴が、心霊研究への下地となっている[3]

1899年(明治32年)に東京帝国大学英文学科を卒業。海軍に請われて、横須賀にある海軍機関学校の英語教官に赴任する。機関学校の同僚スティーブンソンは神智学会員であった。

1915年大正4年)の春、三男の三郎が原因不明の熱病になり、多数の医者に見せても回復せず半年を過ぎていたが、三峰山という女行者の言葉通りに快癒した事から、心霊研究に傾倒し[4]1916年(大正5年)海軍機関学校を退官し、当時もっとも実践的な心霊研究をしていた大本に入信。教団内で有力な信者となり、出口王仁三郎が提唱した大正維新論を解説[5]するなど論客として活躍するも、1921年(大正10年)の第一次大本事件による大弾圧の後は教団を離れ、1923年(大正12年)3月、「心霊科学研究会」を創設。同時期に大本を離れた人物として生長の家創始者谷口雅春が居る[6]

1928年昭和3年)、ロンドンで開かれた第三回国際スピリチュアリスト会議(世界神霊大会)に出席し、グロートリアン・ホールにて「近代日本における神霊主義」の演題を英語で講演する。さらにロンドンで霊媒降霊会を訪ね、パリボストン等を歴訪し、心霊関連の文献を多数持ち帰る。この実績をもとに、日本国内での心霊主義(スピリチュアリズム)の啓蒙活動によって、1929年(昭和4年)5月に名古屋に「中京心霊協会」が、同年7月に大阪に「大阪心霊科学協会」が、そして12月に東京に「東京心霊科学協会」が相次いで設立されて心霊研究の実行機関が各地に設置された[7]。「東京心霊科学協会」では、翌1930年(昭和5年)1月15日に設立記念の新年総会を開催して、1月17日に新事務所開きを行って、活動を展開し始めた[8]

妻の多慶子は三郎の病気が治った翌年から、霊的な能力を見せ始め、1929年(昭和4年)、次男の新樹の死をきっかけに霊言(トランス・トーク)を行うようになり、『新樹の通信』、『小桜姫物語』(ともに霊界見聞録等の内容)を収録し出版した。

1936年(昭和11年)末、『小桜姫物語』の原稿をまとめ上げ出版の準備を終えた後、1937年(昭和12年)2月1日急性肺炎を発症。2月3日に急死した。
心霊科学研究

「心霊科学研究会」顧問及び「東京心霊科学協会」の理事であった和三郎の次兄浅野正恭1867年 - 1954年)は元海軍中将であり、『日本精神の淵源―古事記生命の原理』の著作もある。正恭らが、和三郎の死後、活動の主体を担い、和三郎の遺筆をまとめあげ、出版活動がなされた。

和三郎の死後も「心霊科学研究会」及び「東京心霊科学協会」は活動を続けたが第二次世界大戦の激化で活動を休止。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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